インタビュー Vol.92
究極の美をダンスで表現することに挑みつづける国際派ダンサー
西島数博
3歳よりバレエを始められたそうですが
まだ戦後間もない75年前の頃ですが、その当時はまだバレエという言葉もなく洋舞と言われていた時代に宮崎県日向市で祖母が、今の伊達バレエ団・バレエスクールを開校して、そのあと母があとを継ぎ、僕が3代目になります。
その頃は、洋物の踊りを自分たちが真似をして踊るという創作舞踊のような形をやっていた時代で、僕はその祖母や母の影響を受けながら舞台芸術のクリエイティブなことを仕事としてやってきて今に至るという感じでしょうか。
お母様はバレエダンサーでお父様は社交ダンスをやられていたそうですね
父は元々、サラリーマンだったのですが、30歳でダンサーに転向しました。とても珍しい人生の選択でしたが、実は、母と出会ってからダンスに目覚め、僕が生まれた後に東京に上京して社交ダンスの先生の弟子入りして、3年間勉強したあと宮崎に戻ってきて、九州を代表するプロダンサーになりました。祖父が建設業をやっていて、祖父が建設した僕の実家の伊達ビルの中に、ダンスホールを経営していたので、調度、映画『サタデ・ナイト・フィーバー』全盛期の時代ですね。ミラーボールがキラキラ回って、2階がダンスホール、3階がバレエ教室、1階が飲食店になっていました。いまもダンスホールとバレエ教室はあります。
お婆さま、ご両親とダンサーでいらして、西島さんは生まれる前からダンサーになるために生を受けられたのでは
家族がクリエイティブな仕事に携わっていたのですが、僕にレッスンを強制することもなく、自然の環境のなかでバレエを好きになり踊っていたという感覚ですね。レッスンも最初は週に一回程度で、中学生頃からコンクールに出始めるようになり、自分からやりたくなってきて、一生懸命にやるようになりました。
父、母というより師弟関係みたいに両親をリスペクトしていました。両親とは現場に一緒いる時間のほうが長いので、いつもアシスタントの先生もいたり家族だけの時間が限られていたのですが、子供の頃、家族で登山をしたり、温泉に行くようなこともありました。でも、両親はいつも忙しくしていましたね。とにかく幼い頃の思い出は、踊っていることがとても多くあります。
初舞台は
母から聞いたのですが、祖母が50代で亡くなったのですが、その追悼公演で僕が3歳の時に踊ったそうなんです。勿論僕はまだ小さいので、記憶にはないのですが、葬儀の時に祖母が創った創作舞踊の音楽がずっと流れていたそうなんです、その振付を皆さんの前でその音楽に合わせて僕が踊ったそうで、参列者の皆様が涙したそうです。
小さい頃はお友達と遊びたかったのでは
バレエばかりではなく、友達ともよく遊びましたし、学校の行事にも参加していました。高校生になり、宮崎から遠征して、16歳の時、青山劇場で開催された「青山バレエフェスティバル」が僕の東京での初舞台でした。その後も長年出演させていただいていました。
反抗期はなかったのでしょうか
両親に対して特に大きな反抗期はありませんでしたね。僕は5歳年下の弟(西島鉱治)がいて、兄弟でバレエと社交ダンスもやってました。今は社交ダンスのプロダンサーで西島ダンスアカデミィK2を都内で経営しています。小さい頃、僕は家にいるタイプで、弟は外に出るタイプ、弟はヤンチャで性格が真逆だったので、子供時代はよく二人で喧嘩をしましたね。僕のストレスがもしかしたら弟に向けられていたのかもしれませんね(笑)。今はダンサーとして活躍していますし、お互いの舞台やショーを観に行ったり出演もしていて良い距離感でいますね。
何歳頃まで宮崎にいらしたのですか
高校卒業する18歳まで宮崎でバレエをやっていまして、卒業後はフランスに留学して、クラシック、モダンなど様々なダンスを勉強しました。19歳の時にコンクールに出場させていただき、1991年にフランス・カルポー賞 国際バレエコンクール男性シニア部門第1位を受賞しました。
ヨーロッパやアメリカなどで100回を超える公演に出演し国際的にご活躍されましたが
コンクールで受賞したあとで、自分でプロとしてやっていくという自信がついて、パリのバレエスタジオに通っていたのですが、そこでスカウトされて、カンパニーで仕事をしないか?って声をかけていただいたのが、パリ・クラシックバレエ団というヨーロッパ中を毎年回っているツアーカンパニーなんですね。そこで、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、ポルトガル、ノルウェー、デンマーク、スイス、ベルギーなどヨーロッパのたくさんの国を回らせていただいて、数えたら2ヶ月で56回の公演ツアーということもありました。スペインはシエスタがあるので、2回公演が夜と夜の公演で20時と23時開演で、終演時刻が深夜2時だったりと。
深夜でもお客様はいらっしゃるのですか
いつも満席です!ヨーロッパはオペラハウスがあちこちにあるので、劇場に足を運ぶという文化が当たり前のようにあり、映画を観にくるような感覚で観に来てくださいますね。
チケットのお値段は
バレエやオペラは高尚なものだという認識があるので、安くはないと思います。当時、オーケストラに近い席は1万円くらいで、ただ学生席は2千円くらいとか天井桟敷の安い席はありました。19歳から20歳くらいに貴重な経験をさせていただいて舞台芸術に対する価値観が変わりましたね。改めてやり甲斐のある仕事だと身に染みて感じることができました。
ヨーロッパのバレエ団に在籍しようとは思いませんでしたか
僕はヨーロッパでプロとしてやっていこうと思っていたのですが、ヨーロッパのどこかバレエ団に入ろうと考えていた時に調度、東京フェスティバル・バレエという新しいプロジェクトに参加するお話をいただきました。ヨーロッパは夏休みの期間が1ヶ月あるので、その間に東京の舞台に出させていただいているうちに、アメリカ公演ツアーのお誘いがあり、ヨーロッパに戻るタイミングがないなと思い、東京での活動が拠点になりました。でもいつかはパリに行こうと思いながら今に至っています。実はまだ諦めてはいなくて、パリの舞台で自作のパフォーマンスが上演出来たら最高です。
パリには何年間いらしたのですか
18歳から22歳くらいまでの約4年間くらいです。最初は親に生活の補助をして貰っていたのですが、19歳からカンパニーで仕事をしていたので、仕送りはもうしなくていいよ~って親に言ったら、親がビックリしていました。でも自分から親にそう言えることがとても嬉しかったですね。
ご両親は西島さんのヨーロッパでの公演を観にいらっしゃったことはございますか
両親は、社交ダンスやバレエのことがかなり忙しかったので、観に来れませんでした。
1994年、スターダンサーズバレエ入団。新春公演アントニー・チューダー『小さな即興曲』に主演されました。そして、2005年まで(約11年間)プリンシパル(主役)として活躍されましたが
バレエ『ドラゴン・クエスト』の主演がきっかけでスターダンサーズバレエ団へ入団したのですが、在籍した10年くらいの間で上演したドラクエの公演で主役をやらせていただきました。今も後輩たちが主演したり、リニューアルしながらバージョンアップして上演されています。その頃からバレエでエンタテインメントに近いものが作れる時代が来たことを実感しています。
かつて古典バレエでピーター・ライト版『ジゼル』を拝見させていただきました
クラシックの中でピーター・ライト版は、演劇的要素が強くて好きでした。僕が20代初めの頃、男性版の『白鳥の湖』などを演出振付したマシュー・ボーンさんの作品が好きになり、僕と同じ年齢のアダム・クーパーさんも凄く人気が出た作品で、映画『リトル・ダンサー』はその繋がりでできた作品でもあるので、凄く刺激を受けて、こういう作品を振付したいと思ったのが20代でした。
古典バレエが何百年も変わらず世界中で人々に愛され続ける所以はなんでしょうか
今の時代だからクラシックとか古典とか言われていますが、当時としては相当斬新だったと思いますね。言葉がなくて表現する芸術のバレエを創った時代は凄いと思います。色々調べてみたら、ピカソ、ジャン・コクトー、シャネルなど、クリエイション能力が凄すぎて、今のように情報もない時代に手探りに創っていった時代ですから、今考えれば、バレエを生み出したひとも凄いと思います。つま先で立つことってサーカスみたいですから。バレエやオペラは、舞台芸術の土台ですよね。そこからミュージカルなどが生まれてきたんだと思います。
2016年初演、スーパー神話ミュージカル「ドラマティック古事記 2020」神々の愛の物語は、西島さん演出・振付でしたが
和物に関わるということも僕の目標だったので、フランス在住の頃に日本人の良さを感じていました。フランス人は体格が良くみえて、日本人は華奢に見えるので、並んで踊ると何でこんなに感覚が違うのだろうと思いつつ、日本人の伝統を取り入れた表現を自分の自信に繋げていきたいと思ったんですね。ヨーロッパ人にはできない表現を日本人はできる筈なので、繊細な部分を表現したいと思っていました。日本の神話の企画に出会えたことも人生の節目になりました。
真矢ミキさんとの初共演でお互いに励まし合われたりするのですか
彼女と初めて知り合ったきっかけが『スターダスト in 上海』という舞台作品で、僕と彼女のW主演だったのですが、また何か他の作品でも共演できたらいいなぁと思っていたら、まさか自分が演出する舞台に彼女が出演するなんて、しかも夫婦の神様の「イザナキ」と「イザナミ」を演じるなんて思ってもみなかったです。
バレエでは、ギリシャ神話みたいな作品が沢山あるのですが、日本の神話もちょっと似ているのですね。国は違うけれど似ているところがあるのが面白いなと思い、古事記にのめり込んでいきました。もとは、2013年に地元の宮崎から始まった舞台で3年間宮崎で上演して、それから、京都、福岡でも上演して、東京では、新国立劇場オペラパレスでフルオーケストラでの上演もしています。
10月に豊洲シビックで西島さんプロデュースの「LOVE IS ALL 2021」のラストに踊られた、ラヴェルのボレロというと、モーリス・ベジャール振付のジョルジュ・ドンを忘れることができないのですが、西島さんからみたジョルジュ・ドンさんはどんな印象をお持ちでしょうか。
僕は、パリオペラ座バレエ団のパトリック・デュポンさんが子供の頃から大好きで、彼が踊るモーリス・ベジャールさんの作品も好きでした。モダンは、クラシックとの表現の違いが凄いなと思いましたね。YouTubeがまだない時代なので、ビデオで見たり、NHKで放送されている世界バレエフェスティバルを見たりしていました。実は、19歳の時にベルギーのブリュッセルのオーディションでジョルジュ・ドンさんがその会場にいたんです!もう神様ですね、空気感が違うんです、優しそうな目をしてオーラを放っていました。僕の踊りを見てる!!って思ったら、凄く力が湧いてきたのを鮮明に覚えています。
振付家で尊敬しているひとはどなたでしょうか
マシュー・ボーンさんのほかに、ジョン・ノイマイヤーさん(アメリカ出身のバレエダンサーで振付家、現在はドイツのハンブルク・バレエ団の芸術監督)、ジャン=クリストフ・マイヨーさん(バレエダンサー、振付家、現在はモナコ公国モンテカルロ・バレエ団の芸術監督)も好きですし、ウイリアム・フォーサイスさん(バレエダンサーであり、現在のコンテンポラリーダンスの歴史を創った)も好きです。スターダンサーズバレエ団で「ステップテクスト」踊らせていただいたことも凄く影響されていますね。ピナ・バウシュさん(ドイツのコンテンポラリーダンスの振付家・舞踊家)はコンテンポラリーでいちばん最初に興味をもったダンサーですね。
日本人では、舞踏家の大野一雄さんや勅使河原三郎さんの宇宙感が凄すぎて、身体表現は動いている時だけではなく、立っているだけで空気が変わる、こういうことが必要なんだと思いますね。
ダンサーとしてこれだけは生涯、絶対に貫くぞ!という覚悟とは
僕は35歳で引退すると考えていたんです。ダンサーとして、いちばんのピークが35歳から40歳にかけての頃だと思っていたので、いちばん輝いている時期に引退できたらカッコイイなと。でもその頃、色々なエンタテインメントのお仕事が舞い込んできて、辞めるって言えなくなり、あっという間に10年くらい過ぎていました。それでも、スターダンサーズバレエ団を退団し、芸能界からも少し距離をおく時間をいただいたりして、自分を見つめ直す時間もつくらせてもらいました。そう考えたとき、生きるためにやる、自分のペースでやる。あまりストイック過ぎるのはダメで、常にニュートラルに戻せるような緩やかな気持ちで作品に挑戦し続けることが好きなんです。
では最後に西島さんのbeautifulなファンの皆さまにメッセージをお願いいたします
ダンスは言葉がなくて表現するのですが、今回は歌があって歌詞の中で表現するダンスはとてもメッセージが伝わり易い舞台になると思います。エンタテインメントとして今回は特別なものになると思いますので、これを機に、もっとsong &danceの世界観が大きな舞台芸術になることを想像しています。今回がスタートだと思っていますし、ドラマティックでファンタスティックな歌とダンスのコラボレーションで、観客の皆さまに感動をお届けできたらと願っています。
西島さんの踊りは、スターダンサーズ・バレエ団で古典バレエを踊られている頃から観に行かせていただいており、優雅に美しく踊る姿はおとぎの国から舞い降りた王子そのものでした。西島千博写真集(千博は当時の芸名)まで買って大切に持っていたほどのファンでした。
西島さんの長年の出演作品の中で特に印象深かったのはスタダン退団後の2001年〜2005年に開催された「スーパー・ダンス・バトル」です。この公演は毎公演観に行っておりますが、異色のダンスコラボで、パパイヤ鈴木さんやバグズ・アンダー・グルーブとの共演で笑いのペーソスも交え、個性豊かなダンサーが勢揃いで、その中で際立って品格のオーラを身にまとった西島さんが登場!! この公演では、弟の鉱治さんも出演された演目もありました。
2015年にはJ.D.I.(ジャパン・ダンス・イノベーション)こと、異ジャンルのアーティストとダンサーが集う企画団体を立ち上げ、現在も常に進化したステージをクリエイトされております。
今回は、song&danceで綴るラブストーリーと題してダンス部門の総指揮をとってくださり、その西島ワールドのクオリティにスタッフ陣の我々がちゃんとついていけているのか、その答えはきっと観にきてくださるお客さまのジャッジに委ねられています。
夢と現実の狭間を言葉のない身体表現で優雅に舞う西島さんはきっと前世も来世もダンサーになるためにこの世に存在するひとなのだと思います。雑多なことが多すぎる現世、全身エンターテインメントの西島ワールドでオーディエンスを現実逃避に誘います!
インタビュアー:佐藤美枝子
(表紙)カメラマン:Ami Hirabayashi
取材協力:ZEAL STUDIOS
西島数博
3歳よりバレエを始め、18歳で渡仏。フランスの国際コンクール第1位受賞後、国内外の舞台に多数出演。帰国後、スターダンサーズバレエ団にて世界を代表する振付家の作品に出演。ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」出演から芸能界でも活動。近年は、音楽劇「ドラマティック古事記」新国立劇場にて演出振付主演、フルオーケストラで上演の他「和楽奏伝×装束夢幻」Bunkamuraオーチャードホールやコシノジュンコプロデュース「TOSHIMA ARTS LIVE 2021~真夏の夜の響宴~」等、異ジャンルとのコラボで多彩な活動を展開。常に躍進するマルチなダンスアーティスト。
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※本公演は、新型コロナウイルスの感染拡大状況に伴う、国や自治体から発布される制限事項に従って開催いたします。最新情報は当ホームページにてご確認くださいますようお願いいたします。