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インタビュー Vol.61
ペルー×日本、2つのルーツが生んだ奇跡のヴォーカル!
エリック・フクサキ

ペルーのリマのご出身だそうですが、何歳の時に来日されたのですか。

18歳の時に音楽の専門学校に半年くらい通って、それから4か月くらい、英語と日本語を勉強してから日本に来ました。

小さい頃はどんなお子さんだったのですか。

僕はペルーで生まれ育った日本人で見た目も日本人なんですが、日本語は喋れなかったので会話はスペイン語です。父は日系ペルー人なんですが、演歌が好きでずっと演歌のCDをかけていました。その影響で僕も3歳の頃から演歌を聴いて育ったんです。細川たかしさんや、千昌夫さん、美空ひばりさん、三波春夫さん、村田英雄さんなどの曲などをずっと聴いていました。だから演歌に一番馴染みがあって、僕の音楽のルーツは演歌なんですよ。
12歳の時に、のど自慢大会に出てみないかと誘われたんです。そしてその大会で優勝して、それがきっかけで、日系のイベントによく誘われるようになりました。
日本アマチュア歌謡連盟が主催している「日本アマチュア歌謡祭」の予選がブラジルで開かれて、そのパンアメリカン大会で優勝して初めて日本に来ることになったんですが、グランプリ大会で僕は初めて負けちゃったんです。出場者はもちろんみんな日本人ばかりでした。そこで、僕は日本に住みたいなと思ったんです。そして一度ペルーに帰って、親を説得して日本に来ることになったんです。

そのグランプリ大会で優勝できなかったことが来日したいという大きなきっかけにもなったのでしょうか。

そうですね。無意識につながっていると思います。

その大会では何を歌われたのですか。

氷川きよしさんの『大井追っかけ音次郎』を歌いました。

演歌がこの道に入るきっかけだったのですね。お父様のCDを聴いていなければ、今のエリックさんは存在していなかったかもしれませんね!お父様も歌がお好きだったのですか。

はい、大好きで、父もミュージシャンになりたかったそうなのですが、祖父に反対されてなれなかったんです。だから自分の夢を子供の僕に託してくれたのかもしれませんね。

ご兄弟もミュージシャンなのですか?

兄弟は兄と弟がいるのですが、みんな音楽は好きで、趣味程度には歌っていますけど、ミュージシャンとして歌っているのは僕だけです。

先日の『第50回サマージャズ』(8/25)をご覧になっていかがでしたか。

サマージャズでは、島津亜矢さんの歌われた『望郷じょんから』のジャズバージョンを聴かせていただいて、新しい発見もありました。僕は、以前から演歌をジャズっぽくアレンジして歌いたいなって思っていたので「やられたー!」と思いました(笑)演歌はこぶしとか、ビブラートで聴かせることが多いですが、島津さんは殆どストレートに切るような歌い方もしていて凄いな〜って思って、サイレンスな部分もジャズっぽく歌われていたのにビックリしました。まさに島津さんの持って生まれた才能なんだなって思いました!
以前お仕事でご一緒したカルロス菅野さんに教えてもらったのですが、ジャズのいいところってバランスなんですって。僕はずっと演歌を歌っていたので、フレーズ最後の「あ〜〜」という声をビブラートで聴かせるんですが、そこで敢えてバンドの音を聴かせるのも表現の一つだなって思ったんです。つい、全力で歌ってバンドに負けないようにと思ってしまいますが、お互いが目立つようにするのもテクニックですね。

エリックさんだって、持って生まれた才能は凄いと思います!いよいよ来日されて、それからはどうなったのですか。

アップフロントのスタッフさんの紹介で、オーディションを受けてみないかと誘われまして、喜んで受けてみたら特別賞をいただいて事務所に入ることになりました。最初は、「アルマカミニイト」というユニットでデビューして3年くらい活動していたんです。その時は日本語もまだ全然喋れなかったし、色んなことが勉強になりましたね。

でも今は日本語もの凄くお上手ですね!

いえ〜、まだまだです。最初は日本語を覚えるために、日本の映画を観て独学していたのですが、それがヤクザ映画だったんです(笑)。覚えた日本語を悪い日本語だって知らないで使っていたんです。上下関係とかも全然知らなくて……。社長に初対面で「てめえさー」(笑)とか、マネージャーのことを「オマエ」(爆笑)とかって呼んでしまって、よく怒られていました。今考えると凄いことをやっていたな〜って思います(笑)。僕は見た目は日本人じゃないですか、だから相手はビックリしますよね。それに日本語はほとんど喋れないのに、発音はそんなにおかしくないから、打ち合わせをしていて「ハイ!ハイ!わかりました〜!」と返事はするんですが、後で、全然話しの意味がわかっていなかったりして……。言葉が通じないことで、まぁ色んな失敗談はありますね(爆笑)

来日する時に日本人の知り合いはいらっしゃったのですか?

デビュー前ですが、ディアマンテスのアルべルト城間さんを知っていまして、アルベルトさんから宮沢和史さんをご紹介していただきました。宮沢さんが日系人を中心とした「NIPPONIA」というイベントをプロデュースされて、そのイベントに出演させてもらいました。海外に住む日系人こそ昔の日本人の心を持っている……というメッセージを伝えようとしているライブでした。宮沢さんは社会貢献を考えて、音楽に対して責任感を強く持っている方なんだな、と思いました。

出逢った人たちが凄い方ばかりですね。

僕は、音楽とはツールだと思っています。そのツールをどう使うか、アーティストのミッションというか、音楽で何をするかが大事だと思います。ペルーにいる時はあまり失敗がなかったんですけど、日本に来てから失敗だらけで……。アルべルトさんや宮沢さんから沢山のアドバイスをいただいて、失敗の繰り返しを経験しながら今の僕がいるんですね。

エリックさんがソロで活動したのはいつですか。最初はどんな音楽のジャンルですか。

アルマミニイトを解散して6か月くらいしてから2013年に僕のソロデビューが決まって、1枚目のリリースは『信じるものに救われる/すべての悲しみにさよならするために/追憶』で、谷村有美さん、KANさん、スターダストレビューさんの曲をカヴァーさせていただきました。そして、2015年の『Ai Yai Yai !』では作曲家としてもデビューしました。ちなみにでスペイン語バージョンでは作詞もしています。

この曲はとてもハッピーな気分になれる、大好きな曲です!

ベースはサルサなので、サルサにしても違和感がないですよね。

エリックさんはジャンルレスで、歌うもの全て、自分の世界観を強烈に訴えかけてくるミステリアスな歌手だと思います。演歌から入り、J-pop、自分の楽曲やラテン、サルサまで何でも歌えるのが凄いですよね。

ペルーにいる時にはラテンは歌ったことがなくて、演歌ばかり歌っていました。ラテンは日本に来てから歌い始めたんです。1960年代の江利チエミさんや雪村いづみさんなどは色んなジャンルを歌われていて、素晴らしいエンタティナーですよね。実はそれが昔の日本の心なんじゃないかな、と思っています。ペルーや南米にいる人たちは今でもその心を持っているから、色んなアイデンティティーを表現したがるのかな、と思いますね。音楽のジャンルには壁がなくて、大事なのは音楽の内面なんだと思います。

エリックさんはジャンルでいうと「何歌手」と表現したらよいのでしょう?例えば、演歌なら「演歌歌手」とかありますよね。

何歌手なんでしょうね?(笑)僕は新しいジャンルを作りたいと思っていて、例えば『Ai Yai Yai !』はJ-popとラテンをミックスしたジャンルだと思っていたんですけど、アルべルトさんからこれはアジアン・マーケット向けの「アジアン・ラテン」なんじゃないか、と言われました。J-popのサウンドは、ミキシングの段階で音がギュッと圧縮されたような感じになるんですよね。南米は逆に開放的な音で、ペルーは哀愁のあるドラマチックなメロディが大好きだとか、音楽に特徴があります。アメリカの音楽はメロディに“間”がたっぷりあります。シンガポールはアメリカの音楽に凄く影響を受けているんですけど、メロディには“間”がなくてもっと忙しい感じのものが多い。僕はどちらかというと、その中間くらいが自分のジャンルなんじゃないかと思っています。僕は中国人のハーフなんですが、シンガポールとか日本、タイの音楽が自分の中に入っている気がしますね。南米の音楽は、サルサ、バチャータ、メレンゲ、これはみんな料理の名前なんです。僕も、何か美味しそうなネーミングを考えようかと思います。「ウー・マーミー」(旨味)とか?(笑)

ちなみに、好きなお食べ物はなんですか。

最近はペルー料理が恋しいですね。セビーチェとか生魚なんですが、白身魚を2センチくらいの四角に切って、レモン絞って玉ねぎを乗せて塩胡椒で食べるというものです。カルパッチョみたいな料理ですね。

音楽の話になると止まらないですね(笑)一日中音楽のことを考えているんじゃないでしょうか。

最近は意識して8時間は寝ようと思っているんですが、音楽が止まらないんですね。よく友達が泊まりに来てくれるんですが、僕が寝ながら指揮をするように腕だけ動かしていたそうで、その動画を撮られたりしました(笑)。母と話をしても音楽が頭の中でずっと流れているから、話をほとんど聞いていなかったりして……(笑)。音楽だけだと頭が疲れちゃいますね。だから、なるべく意識してOFFの時間を作っています。仕事のことを考えない時間がある方が、仕事に良い影響があると思います。マインドがクリエイティブになって色んな曲が作れるし、作れないんだったらそれでもいいと思うんですね。出ない時は出ないですから。体調や精神が整っていると降りてくるんですよ。1日に20曲くらい降りてくることもあります。

マイケル・ジャクソンみたいですね(笑)

音楽って空気の中にあるんじゃないか、空気から音楽が取れるんじゃないか……て思うんです。アメリカに住んでいるジャズ・トランペッターの友達がマイケル・ジャクソンのバックも務めたことのあるのですが、マイケルも同じことを言ってたよって教えてもらいました(笑)
今自分が歌えているのは、家族のおかげでも、スタッフさんのおかげでも、自分の努力でもあるけど、自分ができることは自分でやるし、自分で出来ないことはスタッフさんがやるっていう役割分担ですね。そしてみんなに感謝しながら毎日を生きようと思っています。

どういう時にメロディが降りてくるのですか。

やっぱり気持ちや体調が整っていないとメロディが完成しないので、自分がハッピーな時、気持ち良くなるタイミングを待っているんですよね。

例えば、恋をしている時、または失恋している時はそのイメージで曲を作るのですか?

それはないですね(笑)。僕は人生経験が少ないから、っていうようなことをアルベルトさんに話をしたら「エリックはアーティストだから、経験ではなく想像力で書けるじゃない」ってアドバイスしてもらいました。例えば、『ベサメ・ムーチョ』という曲がありますけど、意味は「もっとキスして」という熱い内容の歌なんですが、この曲を作ったのはまだ恋愛したことがない16歳の女性なんですって。この人も想像だけで曲を作ったのでしょうね。

アルベルトさんに何でも相談できて心強いですね。

そうなんです。本当に優しい方でいつも感謝しています。

先日も佐藤竹善さんがエリックさんの歌をとても褒めてくださっていましたね。

僕は、「シング・ライク・トーキング」の2016年のライブでコーラスとして参加させてもらいました。竹善さんと初めてお会いしたのが、ボブ・マクファリーのライブを観た後で、根本要さんにバーに連れて行ってもらって、竹善さんに紹介してくださったんです。でも僕はその時まだ竹善さんのことを知らなくて……(笑)そうしたら、要さんがこの人は凄い歌手なんだよ!って教えてくれて。すぐに打ち解けて『スタンド・バイ・ミー』をセッションしたりしました。それから可愛がってもらっています。「アルパカ」って呼ばれています(爆笑)

一年間通して、ライブ活動をされているのですか。

今はちょうど、ライブ活動をセーブしていて、歌を作る期間として制作に集中しています。それから、ZEAL STUDIOで色んなイベントにも出演させてもらっているのですが、マイケル・ジャクソンのダンスも踊りました。

(動画を拝見し)ムーンウォークも完璧ですね!!

いやー、全然まだまだですよ!僕の作った「ミスターB」という曲でタップダンスもやりました。ダンスはこれからも勉強していきたいですね。

好きなアーティストは?

多彩な人が好きです。マイケル・ジャクソン、ブルーノ・マーズ、プリンスだったり、トラップミュージックやヒップホップ、レゲエとかも聴くようになったのですが、その中でもラテントラップのパイオニアと呼ばれているバット・バニー、カーリー・ビーが好きです。

ラテンを歌うようになったのはいつからですか?

ラテンは日本に来てからで、ペルーにいる時は演歌を歌っていました。ちょっと不思議なんですが、ペルーにいる時は日本人に見られるから、外国人の扱いなんですね。

東京キューバンボーイズのサウンドと出会ったきかっけは?

ペルーではビッグバンドは見たことがなかったので、僕が初めてビッグバンドを聴いたのがメルパルクホールでの東京キューバンボーイズさんの演奏でした。ちなみに、僕が初めて日本のステージに立ったのも最初にお話した日本アマチュア歌謡祭のグランプリ大会で、このメルパルクホールでした。
キューバンボーイズさんのステージには、雪村いづみさんも出演されていて、根本要さんから「雪村さんの『スーパー・ジェネレーション』は絶対に聴いた方がいい」って教えてもらったのでCDを買いました。その頃、僕は江利チエミさんの歌を良く聴いていたんですが、僕が持っているキューバンボーイズさんや江利チエミさんのCDに全部サインしてもらいました。
そして、そのコンサートが終わってから、僕はノートに “2018年に東京キューバンボーイズと共演したい” とスペイン語で書いていたんです。それが今回実現するのでビックリしました。本当に嬉しいですが、かなりのプレッシャーで感謝と興奮と緊張ですね。

10年後のエリックさんはどうなっているのでしょう?

歌をちゃんと歌っていたいですね。今の自分はまだちゃんと歌が歌えていないんです。僕はブレスの問題があるんですよ。日本に来てからカルチャーショックがいっぱいあって、外から見ると分からないと思いますが、そのストレスが自分のブレスに影響していて、歌う前にはボイストレーニングを1時間半くらいしないと歌えないんですね。体調を整えてから歌うんです。だから、急にカラオケに行っても歌えないんです。歌で生きていくためには、いつでも100パーセント出せるようになりたいです。

自分の信念を持って生きていることが本当に素晴らしいですね。

今回の公演では、東京キューバンボーイズさんから色々なことを学びたいですし、彼らのサウンドに影響を受けて、自分の音楽も作っていきたい。東京キューバンボーイズさんとはこの先もずっと共演させていただきたいです。欲をいえば、一緒に演歌も歌ってみたいですね。
ビジネスのパターンで「サバイバル」「サクセス」「レガシー」といったステージがあると思うのですが、レガシーとして残していくには順番にクリアしないと。僕はまだサバイバルの状態なので、37歳までにサクセスのところまで行きたいです。
音楽には凄い力があるし、世界はグローバルになってきています。いつかは自分で音楽のイベントをプロデュースして、音楽を通して世界と日本の架け橋になれたらな……なんて、夢は膨らむばかりです(笑)

ペルーにいながら、演歌の魅力に取り憑かれ、日本で音楽活動をしたいという強い信念と情熱を持ち、19歳でひとり来日。10代の頃にブラジルの歌謡大会に出演し演歌を歌う初々しい姿が動画にアップされていますが、来日当時は日本語が全く話せなかった。しかし今ではアクセントやイントネーションも完璧で語彙も豊富、マネージャーさん曰く、日本語も英語も4〜5年前までは殆ど話せなかったとのこと。そして語学に加えギターも習得し、今ではピアノ、ドラムも練習しているという底なしの好奇心。周囲が驚くほどに、見るもの聞くもの全ての栄養分をまるでスポンジが水を吸うごとく、知識としてその能力を身につけていく。9月8日に情報解禁された『Holy Moly』ではZEAL STUDIOS dancersとのコラボで、サルサダンスも披露しながら、ノリノリのサウンドでクールに歌い踊る。
エリック語を教えていただきました。「頑張る」という言葉は使いたくないそうで、「顔晴る」をモットーに、「僕の歌を聴いてみんなの顔が晴れやかになるように一生懸命に歌いたい」と語っていらっしゃいました。
若さ漲るみずみずしい感性と瞬発力を身にまとい、無限大の可能性に日々挑戦するエリックさんのエンタティナーぶりに今後も大注目していきたい!

インタビュアー:佐藤美枝子

許可なく転載・引用することを堅くお断りします。

▼エリック・フクサキOFFICIAL SITE
http://www.ericfukusaki.com/

▼初作曲作品『Ai Yai Yai !』

▼ラテンカヴァー曲『ある恋の物語』

▼9月8日に解禁されたばかりの最新作!『Holy Moly』