インタビュー Vol.57
「昭和を彩る伝説のスターたちに捧ぐ」に向けて
岩崎宏美


 
●小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか。
小さい頃からテレビを観て結構歌っていました。私は三人姉妹の次女なのですが、車に乗るといつも3人でザ・ピーナッツ、ベッツィ&クリスやタイガースなどを歌っていましたね。小学生ぐらいのときです。

 
●家に音楽が溢れていたという感じですか。
いえいえ、ステレオは1台しかなかったですし、テレビも1台しかなかったです。そういう時代でしたよね。子供用のソノシートみたいなものや、ブックレットになっているLP盤のようなものはありましたけれど、洋楽とかは無かったと思います。父が家でレコ―ドを聴いていたところは一度も見たことがなかったです。そういえば、母がレコードを聴いていたところも見たことがないです。



七五三(左から:宏美・良美・姉・母)

 
●何をきっかけで音楽が好きになったのでしょうか。
姉が成城学園で森瑤子先生という方に音楽を習っていて、私も妹も、先生の成城のご自宅で小学2年の時から歌を習い始めました。森児童合唱団に入り、それをきっかけに音楽が好きになりましたね。
 
●お姉さんは音楽の道をお選びにはなりませんでしたが、妹の宏美さんは音楽の道に進まれたのですね。
そうですね。姉はあくまでも趣味の範囲でしたから「スター誕生!」も受けていません。私が音楽の仕事を楽しそうにしていたので、姉は憧れていたみたいです。自分の時間ができると、いつも客席にいてくれました。

 
● 「スター誕生!」(以下「スタ誕」)に出場されたのは何歳の時ですか。
中学3年の時です。芸能界に憧れていましたが、入り方がわかりませんでした。クラスメイトに岡村清太郎君(七代目 清元延寿太夫)がいて、「そんなに芸能界に興味があるなら、従兄弟の新派のお弟子さんになったら?」と軽く言われて。その従兄弟とは中村勘三郎さん、波乃久里子さんなんです。私は傍でお芝居を観てみたかったので「えー!じゃあ行きたい!」となって、学校の帰りに毎日、東銀座で降りて、新橋演舞場に通っていました。先代の水谷八重子さんの部屋子となり、中学生の時に3年間通いました。「高校生になったら新派の女優になって、舞台に出てもいいわよ」と先生がおっしゃってくださったのですが、芝居は全然自信がなかったですし…歌しか自信がなかったので…。3年生の時に「スタ誕」に受かり、高校1年の時に決戦大会に出て、高校2年でデビューとなりました。そういう意味では、歌の道を選んで良かったなと思っています。

 
●その時に歌った歌は?
小坂明子さんの「あなた」です。

 
●夢が一気に叶った感じですね。
そうなんですよ。こうなりたいな、ということが結構叶いましたね。これでいいやと思わないことが大切だと思いますね。でも痩せられないことは、全然叶っていないのですが(笑)。私、挫折しているときでも食欲が落ちないんですよ。それが強みでもあり、難儀なところでもあります(笑)。

 
●お食事にはかなりこだわりがありますか?
食べることが大好きで、嫌いなものはないですね。最近は辛いものがあまり食べられなくなりました。夫は凄く辛いものが好きなのですが。以前ほど刺激物は食べなくなりましたね。お酒は飲まなくなったけれど、甘いものは食べますね。控えているものはあまりないかな。だから痩せられない(笑)。

 
●「スタ誕」では阿久悠さんや都倉俊一さん、三木たかしさんなど、そうそうたる大御所が審査員席にいらっしゃいましたが、16歳の少女にはどんな風に映っていたのでしょう。
私は中学の時から岡村清太郎君と一緒に松田トシ先生の個人レッスンを受けていたので、デビューしてゲストで「スタ誕」に行っている時でも、いくつになっても審査されている感じでしたね。阿久先生に詞は書いてもらっていますけれど、こちらから普通に声をかけることはできませんでした。「ちゃんと勉強しているか?」と聞かれたりしては、「はい!勉強はしていません!」みたいな(笑)。


阿久悠さんと

 
●阿久悠さんの詞でヒット曲が沢山ありますが、阿久先生ってどんな方でしたか。
お父さんみたいでお母さんのような人でもありましたね。若いときは怖そうだなと先生のことを見ていましたけれど、自分が年を重ねてくると阿久先生は照れ屋なんだなって、かわいらしい人なんだなって思っていました。レコーディングのときはいつも顔を出してくださって。それが当たり前だと思っていましたが、阿久先生が亡くなったあとに取材を受けていると、いつもレコーディングのときにスタジオに来てくださることは、とても珍しいことなんだと記者の方から聞いて驚きました。

 
●歌い方などのアドバイスとか?
静かに見ているだけでしたね。こういう風に歌いなさいと言われたことは一度もなかったです。私やピンクレディとか、みんな自分の子供のように思っていたのではないでしょうか。みんな同じぐらいの歳ですから。大勢の子を産んだように思っていたのではないでしょうか(笑)。

 
●「ロマンス」など、高校生が歌うには大人びた歌詞だったのではないかと思いますが、歌詞を読解するにあたって、どのような努力をされたのでしょうか。
いや、結構わからなかったです。「ここの意味わからないです」って聞いてみたこともなかったですね。あの当時はアップテンポの曲が多かったですし、曲の完成度が高かったから、そういうことを考えずに、なんとか乗り越えることができました(笑)。

 
●いつも几帳面に勉強をされて、事前に完璧に練習されてからスタジオに入るイメージですが。
私?えー、とんでもない。そんなことないですよ。とりあえず耳で覚えるだけですから。音楽の成績が凄く悪くて。先生と喧嘩して歌のテストもしなかったくらいですから。

 
●それは、なぜですか?(笑)
先生の声が小さくて聞き取りづらかったので、「いま女子が歌うの?男子が歌うの?」って隣の子に言った私の声が大きかったみたいで、「職員室の前で立ってろ!」と怒られまして。初めてのミュージックホールでの練習だというのに立たされて凄いショックでした。昼休みに先生に怒られて職員室から出てきたら、姉の耳にも入っていたみたいで、姉に「お願いだから波風たてないでちょうだい」って言われました(笑)。姉とは仲良いですよ。先日も母の誕生日で、母と姉と主人と4人で映画「リメンバー・ミー」を観に行きました。

 
●ヒット曲が沢山でて、それからミュージカル作品にもご出演し、そのご縁で、生涯を共にされる方と(ミュージカル俳優今拓哉さん)運命的な出会いをされるわけですけど。ミュージカルはこれからもっとやろうって思ったりしなかったですか?
「レ・ミゼラブル」の後は全然ないですね。私にハマる役がないですし。先日も大竹しのぶちゃんにその話をしたら「あるわよ~、見つけておくわ」って。「余計な事しないでよ!」って言っておきましたけれど(笑)。


ミュージカル Les Misérablesより(ファンティーヌ役)写真提供:東宝演劇部

ミュージカル Les Misérablesより(ファンティーヌ役) 写真提供:東宝演劇部

 
●それでは次の作品は「リトル・ナイト・ミュージック」で(笑)。よく考えましたら19年前に越路吹雪さんがデジレ役をやってらして。
そしてその後は、麻実れいさんでした。

 
●いろいろ観に行かれているのですね。
結構行きますよ。「メリー・ポピンズ」も観ましたし。先日は明治座の綾小路きみまろさん(笑)。最高でしたよ。こんなに人って笑うんだっていうぐらい、お客さんが笑っていました。

 
●先日、東京国際フォーラムでのステージを拝見しましたけど、ご主人のことも何気なくお話できるって素敵だなと思いました。ずっと43年間応援し続けてくれているファンの方たちともその時間を共有できたりして。
そうですね。ファンの方々が夫の舞台も観に行ってくださることがあるので、ありがたいです。

 
●カバー・アルバムを沢山リリースされていらっしゃいますね。
「Dear Friends」というアルバムです。Ⅰ~Ⅴの5枚ボックスの「Dear Friends BOX」は、日本レコード大賞の企画賞をいただいて、その後に、「さだまさしトリビュート」、「阿久悠トリビュート」を出して、全部で7枚作りました。

 

●さださんも良い曲がたくさんありますよね。歌詞に説得力と透明感があって。
さださんのことを私は勝手に“生き神様”と呼んでいますが、普段は、まさし!って呼んでます(笑)。まさしさんに「宏美は僕のことを“生き神様”と言っておきながら、呼び捨てなんだよな〜」と言われています。愛のある呼び捨てです。

2015年4月25日の40周年記念日に、さだまさしさんと

 
●山口百恵さんの歌もカバーされていますね。
「秋桜」はアルバムで歌っています。先日収録したラジオ番組に三浦祐太朗さんがゲストで出てくれました。「さよならの向こう側」をカバーされていますよね。凄く良いところを親から授かっているなと思いましたね。彼も成城学園だから、私のかなり後輩です。

 
●岸洋子さんとはご一緒されたことありますか?
「ミュージックフェア」でご一緒させていただきました。衣装も素敵で。大人の女性って素敵だなって思っていましたね。私がデビューして初めてのコンサートを郵便貯金ホール(現・メルパルクホール)で行ったのですが、その時のオープニングが岸洋子さんの「希望」でした。そして、エンディングは「愛の讃歌」。ライブ音源はありますよ。雪村いづみさんとは「ミュージックフェア」でCharと3人で歌ったことがあります。たしか「サニー」を歌いました。

 
●まさに昭和歌謡の歴史そのものですね。越路吹雪さんとご一緒されたことは。
ないんです。舞台は日生劇場で観たことがあります。記憶に残っているのは、寝ころびながらのパフォーマンスが凄かったという印象でしたね。何を観たのか憶えていないのですが、確か事務所の方と観た記憶があります。越路さんにしても、美空ひばりさんにしても、加藤登紀子さんにしても、凄く大きく見えますけれど、みなさん小柄で可愛らしい…。

 
●今後の抱負などは
私は持ち歌が沢山あるのでそれを大事にしていきたいなと思っています。若い時に山川啓介さんに私のコンサートの構成・演出をしていただいたことがありまして、その時にシャンソンを何曲か歌ったのですが、シャンソンも、もう一度歌ってみたいと思っています。

 
●先日の国際フォーラムのステージを拝見して、大勢の親衛隊の方々が岩崎さんの人生と共に生きてきて、岩崎さんのことをずっと応援し、歌を待っていてくれたんだな〜と思うと、胸が熱くなりますね。
地方に来てくださっている時でも大人の遠足みたいに楽しんでくれています。ファンの皆さんの行動をフェイスブックでみると心温まりますよね。エンジョイしてくださっているから。


コンサート・ツアー「Hello! Hello!」

 
●岩崎さんの伸びやかな歌声は永久不滅と思いますので、喉を大切にしていただきたいです。前田憲男さんは100歳まで現役と仰っておりますし、ペギー葉山さんの専属ピアニストだった秋満義孝さんは文部科学大臣賞を受賞され、現在90歳で現役です。
前田先生の誕生日に、私と国府弘子さんとサーカスさんと渡辺真知子さんとで、ルームランナーみたいな健康器具を買ってお送りしたことがありました。使ってくださっているかなぁ?(笑)

 
●前田さんや国府さん、そして塩谷哲さん、大江千里さんなど、わりとジャズ系のピアニストとのお付き合いが多いですが、何かご縁や繋がりがあるのですか。
特にないのですが、この方で歌いたいと思った人にお願いしています。

 
●昨年発売されたアルバム「Hello! Hello!」は爽やかなメロディーが心地よく毎朝かけています。今回は岩崎さん、作詞もされていらっしゃいますね。
このアルバムにも収録されている「大切な人」という曲です。1曲書くのに3ヵ月ぐらいかかってしまいました。先に国府さんがメロディをつけてくれて、それに詩をつけさせていただきました。

 
●今後国府さんとの活動は続けていかれるのですか。
来年の1月に、飛鳥Ⅱに一緒に乗ってライブをさせて頂きます。国府さんとの飛鳥Ⅱは今回で2回目です。ピアノとのデュオも最高です。お互いにリスペクトしあっていますから。

 

国府弘子さんと

 
●岩崎さんの音楽を愛し、大事にする姿勢というのは素晴らしいですよね。
小さい頃は姉妹と一緒にザ・ピーナッツの「恋のフーガ」を歌っていたりしました。百恵ちゃんは途中でお嫁さんに行かれましたけど憧れのスターでした。越路さんはファッションもそうですが、生き方が素敵でしたよね。越路さんのステージを観にくるお客様がオシャレして、螺旋階段と赤絨毯のあるあの日生劇場に来るというのが、歌舞伎に行くために新しい御着物を作るような、そんな優雅で特別な気持ちが素敵だと思います。皆さんそれぞれ色々な生き方があって、憧れますよね。

 
●最後にファンの皆様にひとことお願いします。
私にとって憧れの方たちの歌を歌うチャンスでもありますし、先輩たちの後ろ姿を見ながら自分もこの世界にいるので、楽しんで歌いたいと思います。お客さんも楽しんでください!

 

★アルバム「Hello! Hello!」発売中!
定価:2,778円+税
Imperial Records


“天まで響け!! 岩崎宏美”のキャッチフレーズに「二重唱(デュエット)」でデビュー!2作目の「ロマンス」で第17回日本レコード大賞新人賞を始め、数々の新人賞を受賞!センセーショナルなデビューから昭和歌謡の黄金期を築き、今年音楽生活43年を迎える。


天性の歌声はしなやかで美しく、岩崎さんの歌に向き合う誠実さが歌詞のひと言ひと言に命を育み、素敵な人生を歩まれていらっしゃるアーティストだと思います。


トークの中で「私はデビューから運が強くラッキーだった」と、その運を掴むのも、スターの条件だと思います。先日、ステージで「歌を止めようと思ったこともあるー」とおしゃっていましたが、歌は岩崎さんから離れない。何故なら、沢山のヒット曲の全ては岩崎さんが生んだ大切な宝ものであり、子供たちだから。そんな名曲揃いのナンバーを聴きながら、昭和を彩る伝説のスターこそ、まさに岩崎宏美さんなのだと!

 

インタビュアー:佐藤美枝子
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