インタビュー Vol.54
美しく輝き続ける大スターのオーラに魅せられて☆
ジュディ・オング


 
●小さい頃はジャズが子守唄だったそうですね。
父がGHQのラジオの仕事をしていましたので、選曲をするので沢山のレコードを家に持ってきて私達が寝てから蓄音機でかけるんですね。ドリス・デイとかフランク・シナトラなどを聞きながら眠っていました。だから殆ど歌えますね。

 
●ジュディ・オングさんの芸名は、どなたがつけてくださったのですか?
オングはそのままの発音なのですが、ジュディは小学校4年生の時に週2回、兄と二人で英語を習いに行っていたんです。その先生が中国語の発音が言いにくかったのか、英語名をつけましょうねって、つけてくれた名前なんです。

 
●女優、歌手、木版画家、執筆、ボランティアなど、あらゆるエンターテインメントをやっていらっしゃるのですが、どこからそのエネルギーが湧いてくるのでしょうか?
ワクワクと楽しいから。歌も役者として演じることも、木版画もいい題材に合った時ははやりワクワクしますし、本を書く事も楽しいし、ボランティアをしている時に笑顔を貰うと凄くワクワクしますよね。ラッキーなことに私はどれをとっても楽しいんですね。人生は常にワクワクして生きていきたいですね。

 
●来日されたのは何才ですか?
3才の時に来ました。父はGHQの仕事で私たちより1年先に、その後、母、兄と私が来日しました。

 
●芸事をお始めになるきっかけは?
母が立ち姿が綺麗になると言ってバレエを習わせたんですね。母がピアノを弾いていたので、私も習いました。声楽で少年少女合唱団に入ったのはディクション、つまり発音がはっきりするからということで習いました。アイウエオの発音を丁寧に叩き込まれました。小さい頃からひとの前で表現することが楽しかったですね。お家にお客様がくると障子を幕に見立てて、バレエを習っていたので、ティンカーベルの服を着て、兄に音楽をかけて貰って、私が出てくると兄が懐中電灯で照らして(笑)、そんなことがとても面白くて拍手を貰うのがとても嬉しかったですね(笑)。


 
●劇団ひまわりにも在籍されていたそうで。
9才の時に入りました、11歳で女優デビューでしたね。「魅せられて」が出るまで自分では役者だと思っていましたね。「愛は生命(いのち)」とか「たそがれの赤い月」となどのヒット曲をいただいても、いつも自分では女優が歌っていると思っていました。「魅せられて」が出てからですね歌手としての自分の目醒めは。東京音楽祭が1979年6月に開催され、「魅せられて」を披露した時、会場だった日本武道館が割れるような凄い拍手をいただいて、29才の時でしたが、私は歌手だったのだ!と実感しましたね(笑)。リタ・クーリッジやテイスト・オブ・ハニーなどが一緒のステージでした。

 
●「魅せられて」の楽曲をいただいた時の感想はいかがでしたか?
先ず最初に、なんて難しい歌なのかしらと思いました。凄く綺麗な旋律なんですが、地声と裏声を行ったり来たりしなければならず、最初地声で歌ったら、プロデューサーから「ギラギラしたギリシャの太陽のようなイメージだね、でもファルセットに切り変えるとギリシャの風になる」と言われ、テーマはエーゲ海ですから、ファルセットを猛レッスンしました。レッスンしてくださったのは、羽田健太郎さんだったのですが、羽田さんが「これヒットするよ!」って言ってくださって(笑)。歌詞も衝撃的な歌詞で、「♪好きな男の腕の中でも 違う男の夢をみる♪この歌詞をどういう顔で歌うんですか~」って作詞家の阿木燿子さんに聞いたら、「シャーシャーと歌って!シャーシャーと歌えばいいのよ!(爆笑)」って言われて、その通りに歌いました(笑)。今でも「魅せられて」を歌う時は緊張しますね。

 
●お衣装はジュディさんがセルフ・プロデュースされたのですか?
はい、ギリシャのイメージで真ん中のドレープの部分を寄せて、ギリシャ神話の女神のドレスを思わせるような感じにして、ドレスにエーゲ海の映像を映したくて、スクリーンドレスにしたかったのです、左右に手を広げた時に大という字でいちばん大きくなる部分に映したかったのですが、本番に映像が間に合わなくて、でもドレスが半透明なので、後ろからバックライトを当てたら綺麗なんじゃないかと、それが怪我の功名でトレードマークになりました。

 
●その発想が面白いですね。なにからヒントを得られたのでしょうか?
ダイアナ・ロスが来日した時に着ていた白く細いドレスからヒントを得ました。右がフィットしていて左側がドレープが入っているドレスで、ダンサーが出てきて、ダンサーがそのドレスを引っ張ったら、ダイアナの身体が突っ張って、ドレスが真四角になったんですよ。その映像が舞台に出るまでの間に流れたんですね。それは凄いな~って思って、私はダンサーも付かないし、一人で歌うんだから、手を広げるんだわって思ったんですね。そこにエーゲ海を映したいと思いました。昔からドレスのデザインは好きでした。基本的にギリシャの香りとか白であることはスタッフとみんなで決めたんですが、全身をプリーツにするというのは私のデザイン案でした。

 
●日本レコード大賞を受賞された年に第30回紅白歌合戦にもご出演された時のお衣装も素晴らしくゴージャスでした!
ありがとうございます!レコード大賞までは指先までで、あの当時の紅白は本番までお衣装を見せなかったのですよ。本番にアッと!言わせるのが勝負だったようで、本番までは隠していたんです。でも私は白だし、手を広げるのは変わらないから、私のお衣装の永島先生に「私は変わらないわ」って言ったら、先生が「ジュディさん大きくしましょう」と、私は何のことを言っているのか分からなくて(笑)、そうしたら、見えないようにスティックを入れて、立っている時は分からないけど広げた時にアコーディオン・プリーツでバァ~って大きくなるのにしましょうって。それで仮縫いをして、あの当時3mの丈なのにプリーツ加工をできる職人さんがいたんですよ。ディレクターさんには、「リハーサルでは広げませんが本番には3m位になるので、引きでお願いします(笑)」と事前にお願いしておきました。手の延長にならなければいけないので、自宅で広げ方のお稽古を随分しましたね。生地が3人分でスパンコールも付いていて衣装がとても重いので大変でした。本番は、客席からだけでなく、後ろから「わぁ~」と歓声が聞こえて、やったーと、そんな想い出がありますね~(笑)。今はプリーツ加工の職人さんがいなくなっていまって、もう新しい「魅せられて」の衣装は作れないかもしれません。

 
●「魅せられて」をプロデュースされていた酒井政利さんはどんな方でしたか?
もの凄く勘が鋭い方で、例えば、レコード大賞が近い時期になると「念じてなければダメだよ」とか大きな口を開けて笑っちゃいけないって言われました。口紅以外は全部ホワイトで統一する。爪も白、アクセサリーはパールかダイヤにしないさいと言われて、それを守りました。元々私は、真珠が大好きでしたし、言われたことに何の抵抗もなく素直な気持ちで受け入れられました。そして、「もっと歌いなさい」と言われ続けていましたね。


 
●ジュディさんは語学が堪能で、台湾語、日本語、英語、中国語、スペイン語の5か国を話すことができるって凄いですね。
時には、日本語と英語と切り替えられなくて、日本人に英語でしゃべったり、英語圏のひとに日本語でしゃべったりしてますね(笑)。

 
●ジュディさんは日本語も本当に美しい発音をなさいますね。
私が中学生の頃に2年間レギュラー番組でご一緒だった中村メイコさんに日本語を教育していただきました。Gパンのようにイブニングドレスを着こなし、イブニングドレスをGパンのように着こなすことが大事と教えられました。つまり、敬語をフランクな言葉にも使えて、友達と話す時は敬語に聞こえないように話しなさいと言われたんですね。それには基本ができていないと美しい日本語は話せないと教えていただきました。メイコさんは本当に恩人です。

 
●健康管理はどうなさっていらっしゃいますか?
生きていることが楽しくて仕方がないんです。運動も毎日、ワンチャンと40分散歩していますよ。母親犬のアイリスと息子犬のアポロがいるんですが、アイリスが5匹産んだんです。私とてもじゃないけど5匹一緒には育てられないと言ったら、お友達が泊まりがけで一緒に育てに来てくれたんです。そのお友達が私が日本を留守にしているときにみてくれています。品種はイギリス北部の犬でウエストハイランドホワイトテリア(ウエスティ)本当は寒いのが好きなはずなんですが、ストーブにくっついていますね。旅から帰るとワンチャンのWelcomeで元気が戻ります。

 
●ボランティア活動への思いは?
いつも幸せだと幸せの有り難さが分からない。今の日本がそうですよ。こんなに満たされた環境、世の中で生きていてちょっと何かにぶつかるとヘタットしちゃう。発展途上国に行ってみると、過酷な生活にも関わらず、どんな些細なことでも凄く喜んでもらえる。一人でも多くの人達に、少しずつでいいから、自分ができることを始めて頂きたいと願っています。

 
●ジュディさん、政治家に向いていませんか?
そうですか~政治家ほど似合わない職業はないと思いますけど(笑)でもよくひとには言われますね(笑)。

 
●女優さんとしても大活躍で「ルーズベルトゲーム」、「ドクターX」、「銭の戦争」など、人気ドラマにも引っ張りだこで。大企業の社長役とか会長役とか、議員さんの役柄で。
何なんでしょうー、そういう役がハマっているって(笑)。

 
●「銭の戦争」の共演者の草彅剛くんはどんな感じの俳優さんでしたか?
草彅くんは凄く真面目を絵に描いたような研究熱心で、いつも自分の中で役柄を練っていて、リハーサルの時には出て来ないものが本番では凄いパワーで出てくるので、そのキャッチボールが凄く楽しかったですね。いい役者さんです。幅が広くて凄い才能をもっていらしてピカイチですね。


 
●ご両親はどんな方ですか?
学業もきちんとやって、普通の女の子であることを忘れてはいけない、皆さんと一緒に話ができるような人間になることって両親に言われていました。

 
●これから新たにチャレンジしたいことは何でしょうか?
私は帽子が大好きで、子供の頃から色んな帽子をかぶりました。今もスタイリストさんが、びっくりするほど持っていますよ。それが、高じたのか帽子作りに夢中です。先日も母にベレータイプの帽子を3つプレゼントしました。

 
●座右の銘は?
父が教えてくれたのですが、「悦己悦人」(えつみえつじん)これは中国語の昔からのことわざですが、人が喜び、自分も喜ぶことが、いい人生となる。どの線を引けば互いに喜べるのかというところをちゃんと分かった人間でいなさいという意味ですね。戦争を知らない私ですが、両親がその中で生きてきて、大切にしてきた言葉や教えを、次世代に繋いで行きたいと思っています。

 




CDシングル「ほほえみをありがとう」
付属:DVD「青春のままに」オリジナル・エクササイズ
2018年3月21日発売 / 1300円 / 日本コロムビア


ジュディ・オングさんの持って生まれた品格は内面から湧き出る泉のように美しく、人生をこんなふうに生きたら楽しいわよって、愛情溢れるお言葉に、アーティストである前に人間としての大きさ、潔さのような強い生命力を感じ、日々を後悔しないことが大事と教えていただきました。親孝行のお話になると、「時間がないから遠慮しないで、ご両親には一日一日を思いっきりの愛を注いでおあげなさい」と。ジュディさんのお父様96才。お母様91才。仲良くお元気で毎日手をつないで支え合っていらっしゃるそうです。ジュディさんのように好奇心旺盛に生きることをエンジョイできるからこそ、エンターティナーとして、いつまでも変わらず第一線で美しく輝き続けていけるのだと思います。

 

インタビュアー:佐藤美枝子
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