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インタビュー Vol.49
芸能界の第一線を凛とした佇まいで駆け抜け、歌うことが生きること。
伊東ゆかり

●6歳で、米軍キャンプを回っていらしたそうで。お父様がジャズのベーシストでいらっしゃいますよね?

進駐軍ですね。父がベースを弾いていました。私が笑わない不愛想な子だったので、「人様に出たら少しはかわるのでは」と思ったようで、リハのときに私を歌わせたのが最初だと父から聞いています。父にあれ歌え、これ歌えって。進駐軍のPXへ行ったり、家ではFEN(極東放送網)やレコードがかかっていて、パティ・ペイジ、エディ・フィッシャーなどを聴いていていましたけど、美空ひばり、東海林太郎は聴かせてくれなかった。英語に触れる機会が多かったです。

●歌がお好きというのはお父様の影響が大きかったのでしょうか?

好きということではなかったのですが、影響は大きかったですね。もし生きていたら90歳半ばかな。凄い酒飲みでした。69歳で亡くなりましたが、私が古希(70歳)になってしまいました。6/2の命日にお墓参りに行く予定です。

●お父さんとしてはうれしいでしょうね。夢を娘に託して。

大正生まれなので口より手が先に出ていましたね。声がでないとだんだんイラついて手がでてくる。叩かれるから泣く。泣くからもっと声が出なくなる…。その繰り返しでしたね。その当時は小さい子が歌を歌うなんて珍しかった時代でした。

●しかもジャズなんてモダンだし、一般的には…。

一週間に一度ぐらい英語の学習として発音のチェックしていました。当時は大変でしたが、今あるのは父のおかげですね。今頃天国で「ほれ、みろ!」って言っているでしょうね(笑)。

●ゆかりさんのデビューは何歳の時ですか?

キングレコードからデビューしたのは11歳、小学校5年の時(1958年6月デビュー)。それまではずっと進駐軍で歌っていましたね。子供だったからウケましたね。鉄琴、ジャグラーなどもありました。60分のショーの中に必ず子供のセットが入るのです。日野皓正さんはお父さん(タップダンサーでトランペット奏者の日野敏さん)とお亡くなりになられた弟さん(ドラマーの日野元彦さん)、尾藤イサオさんは歌ではなくてジャグラーで。

●デビュー曲は「クワイ河マーチ」でしたね。コーラスがトリオ・ロス・チカロスでしたが、レコードのレーベル面を見ると演奏はシャープ&フラッツとなっていますね。

え、そうでしたか (笑)。スマイリー小原さん、水原弘とブルーソックスさんとかが多かった。渡辺プロにはこの2つのバンドがありましたからね。

●森山良子さんや高橋真梨子さんも同じようにお父様がジャズ・ミュージシャンでしたが…。

そういう時代でしたから。私は学校には黙ってやっていましたけど、デビューしたらばれちゃったの(笑)。そうしたら学校や先生とか大騒ぎになって。先生からは「学業のことはどうなるのですか?」って。私の父が色々とそういったことを話し合ってくれていました。小さいころは私が悪いことしているのかと思っていました。歌を歌いたくなかったのに歌わされていたから、笑いもしなければ泣きもしない、無表情。私は「ノースマイル」ってニックネームがついたらしいです(笑)。

●内気ということですか?

内気というか、引っ込み思案というか。暗くはないのですけど…。そういう性格を治そうとしましたね。

●いつごろから歌が好きになりましたか?

自分で楽しんで歌えるようなったのは2001年ぐらいかな。飛鳥(豪華客船)に乗ったときからですね。飛鳥って世界一周ですが、最後の航路のホノルルと横浜間で歌わせていただくことになったのです。中尾ミエさんからは「いつも暗いのに、よくそんなお仕事きたわね」って冗談を言っていましたけど(笑)。船に酔ってはならないので夜、船の上の方にあるお風呂に入っていました。そうすると空いている時を狙ってくるお客さんもいるわけですよ。ミストサウナに入ってずっと下を向いているとお客さんから「ゆかりさん?」って声をかけてくれたりして、徐々に顔を上げてお客さんと「世界一周でどこが良かったですか?」って話をするようになって。初日のライブの時に、そのお客さんが座っていらして、アドリブで「いつもお風呂で裸でお会いする方ですね」って言ったら、凄く笑ってくれたのですね。台本に書いているセリフだけでなくて、勝手にしゃべったことで笑ってくれている。フラットのステージの「ライブ」ですよね。「コンサート」ではなくて。それが楽しくなっちゃったのよね。飛鳥をおりてからは、40年ぐらい付き合っているドレスの先生が「どうしたの?ゆかりちゃん、明るくなったわね。何かいいことあったの?」って。そこから自分で楽しんで歌えるようになりました。

●「小指の想い出」のメガヒットがありながらも、私たちから想像もできない、そういうこともあるのですね。

あの時はポップスばかり歌っていました。中尾ミエさん、園まりさんと3人で歌ったり。事務所の人が「小指の想い出」を持ってきてくれた時は、歌謡曲だから歌いたくないと思っていました。自分は結婚して、子供産んで普通の生活をしていくのだと思っていたけど、それとはまったく違う方向に行ってしまって…。

●お忙しかったですか?

そうですね、若い時は移動の車で寝ていました。大人の中にいるのは珍しかったですね。

●スターや歌手になりたい人が沢山いましたよね。

私ぐらいの年齢でデビューした人は家庭を養っていこうという人が多かった。だから結婚できない、もし結婚したら家族はどうなるのだろうって、そういう人は多かったのではないでしょうか。

●今も3人娘としても大活躍ですが、今年の4月に渡辺美佐さんがお誕生会を開いてくださったそうですね。50年の歳月が流れても、皆さんが笑顔で再会できることは嬉しいですね。元親子コンサート、3人娘コンサート、ソロコンサートなど、それぞれの形で歌えることは素晴らしいですね。

べちゃべちゃしてないし、みんな渡辺プロだったっていうのもあるから、今でも仲良いですよ。

●でも事務所をおやめになるときって大変だったのでは?

私のときは父が全部やってくれたので、自分では風当りが強かったなどはなかったですね。

●あの頃はいい番組が沢山ありましたよね。

それこそビッグバンドが演奏するスタイルが主流でしたからね。

●私はyoutubeで昔のテレビ番組などの動画を観ていると(指揮)棒を誰が振っていたのかなと気になりチェックしてしまいますが(笑)。

東京ユニオンの高橋達也さんがよくやっていましたよね。

●それでも歌いたくない時期があったのですね。

贅沢ですよね。苦労していないですよね。ナベプロは大きな事務所だったので「ゆかりちゃんは幸せね」って他の事務所の方から言われたりしました。小さな事務所は地方に行くと色々大変だった。そういう意味では長年歌ってきて、苦労というのはなかったです。

●挫折は?

ありましたよ。自分のなかで。やめてやるって思ったこともありますけど、それとは反対方向に進んでいきました。父に反抗したくても反抗できないですし。中尾ミエさんは「ゆかりは暗い、ゆかりは暗い」って(笑)。

●一日の中で幸せと思う時間って何ですか?

ボケーとしているのが好きなんだけど愛犬トム3号と散歩している時かな。あと、仕事が終わって、楽屋でお化粧を落としたとき。達成感があるから。だからいつも楽屋を出るのがいちばん遅いと言われます(笑)。

●最近、BS-TBSの2時間番組「今甦るザ・ピーナッツ伝説~愛と絆が生んだ永遠のハーモニー~」が何度も再放送される度に夢中になって観ているのですが、あの番組の中で25曲メドレーは圧巻ですね!どのようにして全ての歌詞をアタマのなかにインプットされるのですか?

いまはできないですね。あれはかなりリハーサルしました。私たちは、ちょこっとやっただけ。ピーナッツさんは大変だった。まだ再放送しているみたいですね。ピーナッツさんはお二人がお亡くなりになってしまって…。当時、ピーナッツさんから「合格!あなたたちに任せる」って言ってくださったことがありました。宮川泰さんが亡くなってしまいましたが、息子さん彬良さんはお父様の生き写しのようですね。

●昨年、佐川満男さんの芸能生活55周年記念コンサートで、娘さんの宙美(ひろみ)さんと3人でステージに立たれて、その時のゆかりさんと佐川さんがご一緒に歌われた「愛したすべての人たちに」がとても素敵で感動しました。そしてメッセージも「お互いの幸せを祈れるようないい人生を送ったかな〜とそんな気がします。」

構成してくれる山川啓介さんが私のことを良く知ってるから、選曲などはすべてお任せしてます。これぐらい年月が経ったからできるのですよ。いまだからできるのだと思う。娘は神戸まで佐川さんの奥さんと会ったりするみたい。へんな感じ(笑)。神戸の1回公演だけではもったいないですよね。コンサートはとても面白かったですよ。

●佐川さんはフランク永井さんみたいな良い声ですよね。

いろんなところで活躍していただきたいですね。

●皆さん仲が良いですよね。なんで短い結婚生活だったのでしょう(笑)。

それは芸能人だから、あまりドロドロしたくないって思うし。夫婦のことって夫婦にしかわからないじゃないですか。人様にいうことでもないし。こういう仕事していたら、会うときは会うし、そういうときに普通に会えるというか、芸能人の宿命というか。

●ところで、ゆかりさん、彼氏さんは?

いないですね。ペ・ヨンジュンさんは好き、とかはありますよ(笑)。おつきあいとかは面倒っ。犬で良いです(笑)。

●音楽生活60周年を2013年に迎えられて、あと時は確かデビッド・マシューズさんプロデュースで歌手生活60周年記念アルバム「メモリーズ・オブ・ミー」もリリースされたのですよね。

デビッドさん、ポパイみたい(笑)。素敵な方でした。左手だけでよくピアノ弾けますよね。凄いと思います。

●親子コンサート、3人娘、ソロといろいろありますよね。昨年は初めてライブハウスのツアーもされたそうですが。

アルバムのリリースツアーでしたが、今年11月にもツアーを行います。

●歌に恋して、結婚で例えれば、65年が「ブルースターサファイア婚式」というそうですが、続いて70年は「プラチナ婚式」です!ぜひ記念コンサートを開催してください。

来年が歌いはじめて65年、歌手デビュー60周年なんです。

●ゆかりさんの曲の編曲者でもある前田憲男先生もお元気で2年前の80歳記念コンサートも大盛り上がりでしたね。

前田先生には100歳までやってもらわないと。また一緒にビッグバンドでやりたいですね。

●アロージャズさんとのご縁は?

今回のアロージャズさんも以前に大阪でご一緒させていただいたことがあります。当時のリーダーの北野タダオさんに叱られた想い出があり、こわかったです(笑)。大阪に行くと小坂務ニューソニックジャズオーケストラとご一緒することが多かったですね。

●今回はラテンとジャズの2大ビッグバンド合同の壮大なサウンドをバックに歌っていただくナンバーもありますが、ビッグバンドとの共演はいかがですか?

これまでキューバンボーイズさんとは一緒に歌ったことがなかったです。ラテンは初めてではないけど、凄く久しぶり。今回はアローとキューバンの合同で歌わせていただけるのが凄く楽しみです。

●最後に、全国各地から聴きにきてくださるビッグバンド・ファンの皆さまにぜひ一言お願いします。

久々に露木茂さんにお会いするのも楽しみですし、最近はビッグバンドをバックに歌うことはないので、私も楽しみです。みなさんも是非楽しんでください。

6歳から歌い続け、来年65周年を迎える伊東ゆかりさん。生き馬の目を抜くといわれるような厳しい芸能界で、沢山のヒット曲を飛ばし、常に前向きにあらゆるジャンルの歌にチャレンジし続けてきた。その歌唱力に裏付けされた真の実力こそが日本を代表するポップス歌手、伊東ゆかりさんなのだと思います。今までラテンは歌ったことがないそうですが、今回はあの名曲をラテン・バージョンにアレンジしてお届けいたします。2大ビッグバンドを従えてのダイナミックさとエレガントなゆかりさんの歌の共演に是非ご期待ください⭐

インタビュアー:佐藤美枝子

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