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中川晃教デビュー15周年記念プレミアム・コンサート with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
スペシャル・インタビュー「指揮者:栗田博文さんとサントリーホール」

年間約550公演に約60万人規模の来聴者が訪れるというサントリーホール。
今年、サントリーホールは30周年の節目の年ですが、ミュージカル界を牽引している若きスター、中川晃教さんのデビュー15周年記念の指揮をとる栗田博文さんにサントリーホールの魅力についてお話をお聞きしました。

●栗田さんとサントリーホールの出会いは?

サントリーホールがオープンして2年くらい経っていましたが、27歳の時に初めてサントリーホールで指揮をしました。ホールがオープンしたての頃の自分は、音楽大学を卒業したばかりで現場での経験がまだ少なく、アシスタントコンダクターを務めていた時代でした。そんな中受けた東京国際音楽コンクール指揮部門において第1位を頂きコンクールのご褒美としてのコンサートは指揮させて頂いてはいたのですが、正式にプロの指揮者としてオーケストラから仕事のオファーが来た中のひとつがサントリーホールでのコンサートだったのです。その時のオーケストラは東京都交響楽団でした。

●サントリーホールの入り口はカラヤン広場の入り口でもありますね。

開館当時、カラヤン氏は勿論お元気で、サントリーホール開設にあたりいろいろとアドバイザーになって、当時の社長である佐治敬三氏が日本に音楽の殿堂を作ろうと思ってサントリーホールを作ったわけです。最初は響きが落ち着くまで時間を重ねて、良い響きが出来上がるまで丁寧に時間をかけたと思います。私がまだ20代の中頃で若かったのに、それからもう30年も経ってしまったのですね。

●舞台の後ろにも客席があるヴィンヤード形式の設計のサントリーホールに立たれた時の緊張感はいかがでしたか?

全身に緊張がみなぎる!っていう初めての感覚でした。良い意味で。なんでもそうですが、場数と言いましょうか、経験が全てですね。デビュー前の学生時代には、一般大学や社会人のアマチュアオーケストラなどの指揮の経験はありましたが、プロとしてプロのオーケストラを指揮するという仕事の緊張感、プレッシャーは当然ありました。普通のステージは後ろにしかお客様はいないのに、サントリーホールは指揮者の目の前までお客様の顔が見える。ローマの闘技場みたいに365度から見られる!というのはサントリーホールが初めてでした。勿論、今でも緊張感は毎回持ち続けていますが、その緊張感がまた楽しいのです。正面のパイプオルガンのある側の席に座っている人で、たまに知り合いがいたりして目が合って(笑)、かえって緊張しますね。

●お客さまのお顔が見えるなんて余裕ですね(笑)。

目が合う人が、同業者だったりしてね(笑)。

●私は30年前の10月12日サントリーホールのこけら落としを鑑賞しているのですが。その記念すべき日にカラヤン氏が急病で来日できず、急きょ代役で小澤征爾さんが指揮をされました。

その頃の外来のオケが来日すると普門館などが多かったですが、サントリーホールが開設されてからは、外来のオケはサントリーホールでやるというのが、ひとつのステータスとして定着しましたね。勿論、ほかのホールも頑張っていますが、サントリーホールが赤坂の一等地にあるということも魅力ですね。

●指揮をされている時は楽団の人や楽器の動きを見ているとか?

全パートと相対するわけですが、基本的にはそこにいるのは人間なので、色んな方とのコミュニケーション、アイコンタクトを大切にしたいと思っています。音が出る前に、つながっている感覚が欲しいので、プレイヤーをよく見ているかもしれません。

●オーケストラによる音のカラーの違いは?

それが全く違うのが面白いですね。東京だけでも10団体くらいのプロオーケストラがあるのですが、当然、同じものはないですし、雰囲気とサウンドが全く違います。技術的にはもちろん地方のオーケストラも含めて、平均レベルはもの凄く高いです。外国のオーケストラならリハーサルを3日とるところが、日本のオーケストラは3日欲しいところでもスケジュール的に1日しかない場合、1日でやれと言われたら、それは無理なことではないのです。そのくらい技術の精度が高いです。勿論、通常は時間をかけてリハーサルをします。そこから先はオーケストラそれぞれの音色だとか、醸し出す香りは違いますね。その違いが人間的で面白いですね。ホールが違うとまた違います。今は定期演奏会のホールが決まっていますが、そのオケが他のホールで演奏した場合も、そのホールの特性をゲネプロで把握し、ホールの特性を生かして演奏できるのがやはり素晴らしいですね。こうしようと思うことが割とスパッとできちゃうところが凄いです。

●芸術家であり、職人さんみたいですね。

それに応じてやり方を変えられるモードを持っている。外国のオーケストラの方が逆に不器用かもしれませんね。外国人は、まず自分のやり方、自分たちのやり方で表現する。という事がハッキリしているかもしれません。でも、世界的に皆さん器用になってきていることも事実なんですけどね。ドイツはドイツのオケの特徴が今でもあるのですが、じゃあ、フランスものが不得意というわけでもなく。インターナショナル可しているのは間違いありません。しかし、とりわけ細かいことに順応することは日本人が得意としているところですね。

●栗田さんは小さい頃からクラシック音楽に親しむ環境にいらしたのですか。

いわゆる習い事で幼稚園の頃からピアノはやっていましたが、指揮者になろうと思ったのは14歳の中学2年の頃です。

●それで人生の方向を決められたのですね。

部活が吹奏楽部だったのですが、先輩が「N響の演奏会に一緒に行こう」って誘ってくれてその演奏会を聞いて、〝ぶっ飛んじゃったんです〝!

●先輩ももしかして10代じゃないのですかー?

中3の部活の先輩だったのですが、その頃はトロンボーンをやっていたのですが、今では某大学のピアノ科の教授をやっていらっしゃいます。私は神奈川県小田原市出身なんですが、小田原に初めてNHK交響楽団が尾高忠明先生と来て、全曲ベートーヴェンばかり3曲演奏して、僕は口が開いたまま、本当にぶっ飛んじゃったんですよね。

●正にサントリーホールの歴史で初めて演奏したのがNHK交響楽団で指揮台に立ったのはウォルフガング・サヴァリッシュ氏。その時の演目は「第九」でした。ご自宅にはいつもクラシック音楽が流れている環境だったのですか?

うちの両親は別に音楽家ではないのですが、昭和30年代後半から40代前半だったと思いますが、家にビクターのステレオがあって、父親が休みの日に自宅でクラシックのレコードをかけて聴いていたのですね。

●なんだかリッチーですね~(笑)。

いや~父は新しい電化製品好きのマニアで、あとはFMラジオから流れるクラシック音楽を聴いたりと、そういう聴く環境にあったのが刺激になったのだと思います。指揮者になりたいと思ったのは、そのN響を聞いたことがきっかけですね。生の音で何十人もの人が「ジャン!!」と響かせる作業とその音圧を聴いて衝撃を受け、オーケストラって凄いと思いました。

●ジャンボジェット機を操縦するパイロットみたいですね。

言葉で言うなら、ぶっ飛んだその時の衝撃ですね。それから興味を持って、スコアを取り寄せて同じ曲でも色んなオーケストラの演奏を聞いてみたり、輸入盤が安かったので、小遣いの殆どはレコードを買ったり、友達とレコードの貸借りをして聞きまくりました。今ほど情報がない時代でしたし、ネットで調べることのできない時代でしたからね。

●N響と尾高さんと出逢いの衝撃で、夢中になられたのですね。

そうですね。それがきっかけです。でも、親は指揮者をすぐにやってもいいよとは言ってはくれませんでした。父はサラリーマンでしたし、今思えば当然だと思います。しかし、母は昔、絵描きになりたかった経緯があり、アマチュアとして長年絵を描いていましたから、芸術を理解するということにおいては味方にはなってくれていましたね。

●指揮者になるいちばん大事な素養とはどんなことでしょうか。

指揮者を志している方々からアドバイスください。と言われるのですが、音楽に対する興味を強く持つことは当たり前ですし、自分のイメージ、やりたい事を人と協力してつくり出すわけなので、共同作業がちゃんと出来ること。人とコミュニケーションができて、人とキャッチボールができる人。相手が音を出すわけですから相手の考えていることにも興味を持つこと。全員が同じ譜面を見て、同じ風には思わないわけですから。例えば、フォルテと書いてあっても、硬質な硬い音もあれば、柔らかで豊かな音のフォルテもあって、音楽家はたくさんのイメージを持っているわけです。やり方に一つの方向性をはっきり明示するのも指揮者の仕事です。あらゆる可能性の中で何かの形にしっかりアプローチするという作業です。人と一緒に何かをやるということが好きなことと、シツコイこというですかね。何度やっている曲でも突然、夜中に起きて楽譜を見る事があるんですよ。仕事とプライベートは意外とONとOFFがなくて音楽のことを考えていない時間はないかもですね。僕が唯一、長く続いていること、それは音楽です。また、色んなジャンルが垣根を越えて、模索の一つでやっているコラボレーション。コラボレーションは昔の時代から、舞台とオーケストラがコラボレーションしてオペラが生まれてきました。最近ではクラブミュージックの方と共演したり、ゲーム音楽だったり、常に新しい試みがあります。他ジャンルとのコラボレーションでお互いアーティストとして根っこの部分で理解を深めるチャンスです。最初はどうなるのか全くわからないけど、やってみるとキャッチボールができることでお客様にも楽しんでいただけるし、新しい形で何かやる場合、そのための曲を創造する作曲者、編曲者の存在はとても重要なんです。今回の中川さんの楽曲はアレンジャーが沢山いるので、個性が違うし、どうなるか楽しみですね。

●サントリーホールは世界でいちばん響きが美しいホールと言われていますが。

それを目指して色々細かい調整をしてきたし、世界中のオーケストラが来日して納得させるだけの響きがあります。でも、他のホールでも全然違うタイプなんだけどいいよね、というホールもあります。味わいの違いです。ホールも個性があり形式の違いもあるし、共通しているのは演奏家が沢山来ることによってそれが馴染んできて段々良くなってくることでしょうか。

●栗田さんにとって良いホールとは。

お客様との距離感ですかね。いちばん遠い席、料金的にはいちばん安い席。そういう席にマニアの方がいらっしゃる。そういう席まで響き、想いが伝わるということです。やはり、サントリーホールは素晴らしいホールですよね。

●栗田さんもカラヤンさんと同じ髪の色がロマンスグレーで素敵ですね。

家系なんですよ。若い時から白髪で(笑)。

●栗田さんの指揮をされる表情はいつも凄い気迫です!鏡の前で練習されるとか?

そんなこと絶対にしないですよ。絶対。鏡の前の自分の顔を見たら、昨日飲み過ぎたかな~って(笑)。でも、学生の時はしました。研究室で指揮台の正面に鏡を置かれるんですよ。どういう風に見えるか自分で研究しなさい!と先生に言われて。我々の時代はようやくホームビデオが出た時代なので、録画もして研究しました。

●指揮者もアスリートですが、体力作りの筋トレは?

自宅でダンベル持って筋トレするくらいですね。50を超えてくると無理はいかんとは思うのですが、人間の欲とは、やりたいことは自分の最後の日まであると思うので、自分が音楽を志した頃と今も元気度は変わらないようにしたいと思いますね。

●最近、刺激になったことはありますか。

音楽大学のオーケストラに携わることもあるので、平成生まれの多くの学生と接する機会があります。みんな、自分の半分以下の年!当然ですが…。経験は本当に未熟でも音楽に対し真摯で表現の場に飢えている感じがひしひしとこちらにも伝わってくる学生もいます。要求された課題に必死に苦戦しながらもトライをあきらめない!コンサート本番では見事クリアして表現する喜びに満ちた表情、目の輝きを見るとこちらも嬉しく、元気になりますね。今回も若い中川晃教さんいう素晴らしいアーティストとの共演をとても楽しみにしています。

●最後に今回の中川晃教さんのコンサートで指揮をしていただく意気込みをお願いします。

自分としてはいつも通りにやるということですね。リハーサルをした時に、中川さんが何を表現したいんだろうという気持ちを私はニュートラルな気持ちでスタートすること。リハーサルを通じて、中川さんとオーケストラとの共演は必ずお客様に楽しんでいただけるということは、やる前から確信していますが。やはり、そのためのリハーサルが重要ですし、楽しみでもあるんです。私の気持ちとしてはオーケストラも中川さんも完全な生音のみで1曲でもやれたら。と思います。それは私が感じることですが。

栗田博文さんが初めてサントリーホールに立ったのは27歳。中川晃教さん33歳。
カラヤン氏は自身がアドバイスをしたホールの鳴りの良さに「まるで音の宝石箱のようだ」と感嘆し、その名言は現在もホール1階ロビー正面に飾られています。
当日の社長である佐治敬三氏にカラヤン氏は緻密に計算された重要なことをアドバイスをされたそうです。指揮者楽屋とソリスト楽屋はステージから11~12歩の距離であることや、曲の間でグランドピアノを舞台に運びいれるのはかなりの時間がかかるので、ピアノの出し入れをするためのセリが大事と。そしてパイプオルガンも絶対に必要。カラヤン氏曰く、「パイプオルガンのないホールは家具のない家と同じ」だと。
私は思います。サントリーホールは「この劇場に行く」という特別な喜びのオーラを醸し出すホールではないかと。
中川晃教さんと栗田博文さん、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の皆さん、そしてピアノ園田涼さん、ベース杉本智和さん、パーカッション益田和歌子さんも加わり、総勢70有余名の楽団との饗宴で、どんなミラクルを巻きおこしてくれるのか、8月8日一夜限りの栗田博文さんの指揮する先に中川晃教さんの響きの歌声が異次元の世界へとお招きいたします。

インタビュアー:佐藤美枝子

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