特集

インタビュー Vol.30
サマージャズに寄せて「ありがとう日比谷公会堂!」
北村英治 森 寿男 今田 勝

●サマージャズは今年で47年。長いですよね…。

北村:47年もずーといらっしゃるお客さんがいるわけだから、ありがたいよね。

今田:30年ぐらいまでは、来ていた方に手を挙げてもらっていた(笑)。

●お客様もモダンな方が多いですよね。

今田:はじまりはピットインからだった。色々あったよ。大成功したのだけど、苦労がたくさんあった。1回目も2回目も。失敗したわけではないけど…。

森 :47年もやっているとミュージシャンも亡くなっている方が多いですからね。

北村:今ちゃんもよく頑張ってますよね。

今田:いやいや、英ちゃんもよくやってますよ。

北村:僕なんてただ吹いているだけだよ(笑)。

●この時期はフェスの出演が多いのでは?

北村:最近はかなり絞ってる。夏は楽器の温度管理が大変。野外も多いし、雨降ったりしたら、さらに大変。

●北村さんは、たくさんの方と共演されたりしてますよね。

北村:同窓会みたいな感じだよね。サマージャズは。鈴木章治は「こういうフェスティバルは苦手だから出たくない」と言っていたけど。藤家(虹二)はでたがってた(笑)。僕はこういうお祭り騒ぎは大好きだけどね。

●日比谷公会堂は階段がたくさんあって、お客様も大変ですよね。

北村:老人ホームに入っている友人がサマージャズによく来てくれて「いつも楽しみにしてる」って。毎年舞台から客席に居るのが見える。

森 :エスカレーターをつければよいのにね。

●今度(2016年春から)改築したら、色々とハイテクになってくるのでしょうけど。意外と都心でやっているサマージャズって少ないですよね。

今田:最初のほうは野外だったからね。ゴザもってきて酒飲みながら聴いていたからね。

北村:外でやるのがサマージャズって感じだったもんね。

●ビッグバンドは、ニューハードもシャープ&フラッツも出ていましたよね。ビッグバンド全盛期ですね!

森 :当初ブルーコーツはでてなかったけど、僕の代になってからだよ。色々とでられるようになったのは。

●今田さんはわりとトリオで出演されていました?

今田:昔はトリオでもやって、他のグループからも手伝ってほしいと言われて駆け込みみたいな感じで、リハなしで一緒にやってた。

北村:みんな今ちゃんとやりたいって集まってくるんだよね。今ちゃんは人がいいから、みんなとやってあげる。大変だけどそれをこなすんだよ(笑)。

●昔、今田さんのヘアーはアフロでしたよね(笑)。めちゃめちゃファンキーで!

今田:そんなときもあったね(笑)。ロックやフュージョン、フリージャズとか流行りだしたころは、色々なバンドで弾いていたよ。若い連中(ミュージシャン)は中々チャンスがないんだよね。いつも決まったことしかできない。だいたいジャズ喫茶が主催だったから、いつも出る人は決まっちゃってるからね。

北村:時代に合わせていたんだよね。

今田:靴だって、かかとの高いヤツ履いてた(笑)。この歳になってこんなの履けないけど(笑)。そうそう、渡辺香津美が中学生のときかな、中牟礼貞則さんの紹介でピットインに来て、お母さんがアンプと楽器を持って「先生お願いします!」って。初めてそこでスタンダードの曲をやりだしたんだよ。若いから僕の履いていた靴をあげたんだよね!(笑)。

北村:そう考えてみるとさ、あっという間だよね。今ちゃんとは昔バンドを組んで一緒にやっていたもんね。

今田:英ちゃんも新しいことやろうとしていたのかもしれないけど、モダンな連中を集めてね、凄いのをやっていたんだよ。

●えー!北村さんがモダンですか!なんてたって、「スウィング英治」と呼ばれている北村さんが、昔は「モダン英治」でもあったなんて驚きでした。

北村:ある時に切り替わった。モダンをやらない、コピーもやらないって決めた。というのもバディ・デフランコに「俺の真似をするな」って言われた(笑)。「プロだったら俺の真似しないで、スタイルがスウィングでもいいじゃないか。自分のスタイルというか英治が吹いてるっていう吹き方をしろ」って。それでコピーをやめたのだけど、そしたらとたんにバディから仕事がきてさ。二人でやろうって。オーストラリアでもバディと一緒にツアーした。ありがたいよね。

●海外との交流っていいですね。

北村:いまも頑固にオーソドックスなスタイルで少しモダンな感じだけどね。だから森さんのブルーコーツと一緒にやってもうまくマッチする。サウンドがとても合うのだと思う。

森 :そのころはまだ僕は40代。

北村:吹いてたころだもんね?トランペットを。

●えー、そうですか。トランペット奏者だったのですか?芸大のときから?

森 :高校の時にラジオとかでブルーコーツやゲイスターズとかを聴いていたわけ。バンドタイムとかあったじゃないですか。あのときに「スターダスト」とか演奏していて、品のいいブルーコーツに魅了されて、ここに入るには芸大に入ったほうがいい、と思って芸大に入ったわけ。それが一番近い道だと思って。

北村:ちゃーちゃんがやってたんだよね。

森 :そうそう、小島(正雄)さんがトランペットを辞めて(リーダーになって)、その後に僕がトランペットで入った。それでなんとかやってこれたわけだけど。

北村:前身には長尾(正士)さんがいて。

森 :ブルーコーツは今年で70周年と言っているけど、実際は先代を入れたら80周年ぐらいになるわけなんだよね。グレン・ミラーと同時期にできたわけだから。

北村:オーケストラは限られていたからね。ブルーコーツ、シャープなど。日本のビッグバンドって色んなスタイルをやらないといけない。あれが大変だと思う。

森 :前に北ちゃんが「スウィングを守ろうよ」と言ってくれて、一貫してスウィングしている。

北村:クラリネットってスウィングに合うんだよね。どんなオーケストラにも合う。

森 :昔、日野皓正はスウィングが好きでブルーコーツとよくやっていたときがあったけど、いまはあの路線(モダン)になってから、もうこっちに戻りづらくなったよね。あれで有名になったしね。

北村:ブルーコーツってレパートリーが多いよね。というのもスウィングといったらグレン・ミラー、ベイシー、エリントンもみんなやらないとね。それは大変だと思うよ。

森 :ブルーコーツはあっちこっち行く先で、グレン・ミラーをやってくれってリクエストをもらう。

北村:毎年オーチャードホールにニュー・グレン・ミラー(現グレン・ミラー・オーケストラ)が来てるじゃない。必ず行って聴かせてもらっている。リーダーのニック・ヒルシャーや若い連中が見事なんだよ。アンサンブルがビックリするほど素晴らしい。

今田:昔の譜面を使ってるの?

北村:うん、昔の譜面。アンサンブルも忠実に再現をしてるね。サウンドも良い。初めて聴いたのが、バディ・デフランコで69年に来たとき。「ムーンライト・セレナーデ」は(テンポが)70以下だったね。リードのクラリネットと2ndテナーサックスがオクターブで決まってるじゃない、それがビブラートを合わせてる。涙でるほどいいんだよ。見事だなーって。で、最近のグレン・ミラーと69年に聴いたときとテンポが一緒で驚いたね。これはちゃんとトレーニングしないと息がもたない。

今田:へえー。

森 :スウィングは、グレン・ミラー、ベイシー、エリントン、これだけだね。時代だったんだね。

北村:小さいバンドでよいのは沢山あったけどね。ビリー・ヴォーンとはとても綺麗にやっていたね。ビリーだけは色々なものを取り入れてやってたよね。ゲストで入れてもらって、結構やってた。代表曲の「ムーンライト・ベイ」なんてやる前は、なんて安っぽい曲なんだって思っていたけど、実際中に入ってやってみるととんでもない!やっぱり名前のでるバンドって凄いんだなって思ったね。共演といえば、スタン・ゲッツが紹介してくれたウディ・ハーマンや、ジョー・ウィリアムズ、ハンク・ジョーンズなどと一緒にやれたのは良い経験だったし、自慢になるよね。日本のミュージシャンの中で一番運が良いところを歩いてきたと思う。

今田:僕も海外だとグローバー・ワシントンJr.と一緒にレコーディングしたりしたけど色々と勉強になったね。リズムが凄いと思った。一拍だけでも違う。

北村:アメリカは無名だけどソロがめちゃくちゃうまいっていう人が多い。楽器をやっている数が多いというのもあるよね。日本との大きな違いとはリーダーの音楽をやる。みんな納得してみんなやってくれる。そういうところはいいよね。レイ・ブラウンとやったときは、その場の音楽をやる、伝統を重んじるって感じだった。

森 :ミュージシャンって個性が強いでしょ。何にも言わず好きなことをやらせる。そうすると120%を出してくれる。海外でもステージに出てくるときに、にこって笑ってくれると母親みたいに嬉しくなるよね。楽しくやってほしい。個性も重要。

今田:しかし、サマージャズもよく続いてますね。

北村:ほんと。これも、まあ、日本ポピュラー音楽協会が一生懸命頑張っているおかげだよね。それだけを楽しみにしているお客さんが沢山いるし。日比谷をベースにして、あの急な階段をあがっていくのも楽しみの一つだと思う。

●日比谷公会堂は改築工事をするので、今年度末で一旦クローズになります。建物が北村さんと同い年なんですよね。

北村:そうなんだよ。昭和4年なんだよね。僕と同い年。だから当然メンテナンスしないといけない。僕の身体もそうだから(笑)。

今田:僕があそこで一番早く出演しているんじゃないかな。なにしろ学校の庭が日比谷公園だったから。日比谷小学校だった。あそこにプールもあったよ(笑)。明治大学に入って、ジャズのバンドがなくて、仕方なかったからマンドリンクラブに入った。終戦直後に日比谷公会堂に出ていたね。

森 :僕は芸大に入って、昭和26年に初めて日比谷公会堂に出た。芸大のブラスバンドで。

今田:じゃあ同じ時代だね。僕が大学に入ったのが昭和23年だから。英ちゃんのような先輩を観てすごいなーって思ってた。

北村:僕は慶應ライトに所属してたじゃない。ライトができたとき、直ぐに入れてもらって、最初はコンボで使ってもらえて大変勉強になった。京橋のコンチネンタルにコンボに出ていた。それから南部(三郎)さんに出会った。

今田:南部さんはよくスタジオで会いましたね。いつもゴルフの話ばかり(笑)。スタジオは作曲やアレンジの勉強になったなぁ。しかし、当時のジャズ屋さんは譜面なしでもなんでもやっちゃうから、色々使われたね(笑)。重宝された。あとキャンプで演奏したとき譜面をずいぶんもらってきたよ。

北村:かならずもらってきたね。

今田:キャンプ行くたびに勉強になった。譜面がしっかり書かれていたから。コードの勉強になったよね。あれは凄かった。まだ家にありますよ。

森 :当時はとても貴重だったね。いい時代だね。

北村:一番いい時代を生きてきたなって思う。今の若い人たちに引き継いでいきたいな。

戦後70年、JAZZと共に人生を歩んできた北村英治さん(東京・渋谷区生まれ 86歳)、今田 勝さん(東京・北区生まれ 83歳)、森 寿男さん(東京・江東区生まれ 83歳)にそれぞれの想いを語っていただきました。語っていらっしゃる時の、その爽やかな笑顔に人生のふくよかさと品格を感じました。皆さんがトークの最後に同じことを言われていました。「JAZZが好きでたまらない。JAZZが人生の全て」だと。

あの日比谷公会堂の急で長い階段には86年間の数えきれないほどのミュージシャンと観客の足跡が刻まれています。日本のサマージャズは47年前にこの日比谷で産声をあげ、JAZZの歴史を刻んでまいりました。この歴史的建造物のような会場に感謝の意を込めて、たくさんの奇才たちが立ち、想い出の詰まったステージで今年もサマージャズが開幕します。

インタビュアー:佐藤美枝子
写真協力: カックン
パンフレット提供: 今田 勝

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