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インタビュー Vol.13
45年前の「第1回サマージャズ」を振り返って
今田勝

たった一人。前人未到の45回出演制覇の快挙!今なおオクターブジュウ(80)を過ぎても元気は人一倍のジャズピアニストの今田勝さんに当時のお話しをうかがいました。

●サマージャズ開催のきっかけは?

ちょうど日本のジャズというのが注目され盛り上がってきた時期なので、ミュージシャンが主体となってやろうってことになってね。。。

●発起人というのはいらっしゃったのですか?

ピットインの事務所でやってくれたのだけど、一応、理事会みたいのを作って。。。

●どのような方が理事をされていたのですか?

十数人いましたね。渡辺貞夫さん、松本英彦さん、ジョージ川口さん、笈田敏夫さん、若手は日野皓正さん、佐藤充彦さんなどですね。

●すごい壮大なスケールですよね。1回目から成功されたのですか?

一回目から大成功。お客さんは満杯。日本全国のジャズ喫茶が応援してくれて、協力して実現したんだよね。みんな全国から日比谷野音に集まって、普段あまり横のつながりを持たない我々だけど、みんなが一つになって、凄い熱気だったよ。

●その時の今田さんのバンドメンバーってどなただったのですか?

ここに(「第1回サマージャズ」のパンフレット)に載ってるよ。2つ、3つもバンド掛け持ちで出てるから、ぼくがリーダーで、他には長芝正司(b)、紙上 理(b)、三森一郎(t.sax)っていうメンバーだったかな。

●ブッキングはどのようにして決められたのですか?

ピットインのほうだよね。ピットインとみんなで日本ジャズ協会を作ってやってたから、協会の設立記念イベントだよね。

●当時、一番有名なジャズ喫茶ってどちらでした?

ピットインじゃないかな。あとタローとかね。

●先日、日比谷野音が90周年でイベントをやっていましたね。

なにしろ、この「サマージャズ」が一番古いサマージャズ・フェスだよね。

●この歴史に残る、45年前の公演パンフレットは素晴らしいですね。有料で販売したのですね!

そうだね。

●当時の司会はいソノてルヲさんと行田よしおさんでしたが、サマージャズって本当活に凄まじい活気がありますよね。

地方から来てる人が多かったよね。芝生に寝っ転がって昼から酒を飲んじゃったりして。全然音楽なんて聴いてない人もいたりして、それはそれでその解放感とかが面白いんじゃない。。

●歴史が長くて、資料が全然ないですよね。

その時代、時代の音楽をやっていたグループが出ていたよね。フュージョンが流行ったときはフュージョンもやったけど、まだなかった時代は、ロック・ジャズのような稲垣二郎さん(ソルメディア)とかぼくもコンボ・オルガンとかも弾いていた時代もあった。

●交通整理は大変でしたね(笑)。活きのいいアーティストぞろいですからね。舞台監督も大変だったんじゃないですか。

う〜ん、大変だったね。

●楽屋裏とかどんな感じだったのですか?

きちっとはしていたけど。。。まあみんな楽屋にはじっとしていなかったね(笑)。

●面白いエピソードはありますか?45年の歴史を知っているのは今田さんしかいないので。。。

昔、日比谷野音でやっていたとき台風が来たことがあって傘をさして観ていたこともありましたね。そうそう、ピアノにビニールシートを被せて演奏してたよ。それでも帰る人もいなくて、ほぼ満席でしたね。
あと、面白いことといえば、あの当時はお客さんがみんなゴザを持ってきて宴会していて、その前を通ると「今田さーん、一緒に飲もうよ!」と誘われて、一緒に飲んでいたことがたくさんあったね。

●ピアノはいつごろからはじめたのですか?

はじめは、幼稚園にピアノがなくてオルガンがあってオルガンから弾き始めたね。足踏みオルガンね。女の先生でよく教えてくれて。

●女の先生だったらからやる気になった?

うん。そうー(笑)。それから小学校に入ったらピアノがあって、それからピアノを弾くようになって。

●で、小学校のときにピアニストになろうとか思ったのですか?

いや、そのときちょうど戦争が始まったときで大変だったから。。。ぼくは残ったけどみんな疎開に行ってしまって、その小学校がなくなってしまった。日比谷公園の横にあった日比谷小学校だったら、あの日比谷公園付近はよく知っているよ。

●そうなんですか!

そのあと軍隊教育を受けた。それから日体大付属に入って剣道部だったから、強力だったよー。

●では、ジャズをやってはいけないとかあったのですか?

ジャズの「ジャ」の字も言っちゃいけない。一度、ぶん殴られた。あのー、“ダンス”って言葉を言ってしまって(笑)。そういうのを見て笑ったりしても全員ぶん殴られる時代。叩くほうも痛かっただろうけど。

●ジャズっていつからはじめたのですか?

戦後だよね。進駐軍放送のラジオで。

●それで進駐軍でもやられたりだとか

うん。それで明治大学に入ったんだけどジャズバンドがなくて、音楽をどうしてもやりたいと思っていたときに引っ張られたのが、古賀政男さんで有名なマンドリン倶楽部。

●明治大学はマンドリン倶楽部が有名ですものね。

ピアノがないんでね(笑)。何でもやっていいと言われたので、マンドリン倶楽部のなかでもギターがかっこよさそうだから、というのでギターをやった。ピアノも続けていて、上級生になってから自分でグループを組んで、キャンプの仕事や学生のダンスパーティーとかで弾いてた。スイングとかやってた。リーダーでやってたよ。

●音楽の環境に恵まれていたのですね。それでご両親からピアノを買ってもらったのですか?

家にピアノがあったの、誰も弾かないけど飾りものとして。

●お金持ちのお坊ちゃんだったのですね(笑)。なんせ日比谷小学校ですものね。

いやいや。日比谷小学校といっても明治時代の古い建物で折れそうな柱ばかりでしたよ。校庭が日比谷公園でプールもありましたしそこで泳ぎをおぼえました。

●その当時の日比谷公会堂ってどんな印象でした?

いまと同じですよ。戦争当時は軍隊の講演みたいなのが多かったような。大学に入ってマンドリン倶楽部ではじめて日比谷公会堂で演奏したよ、昭和24年だったと思う。

●同期でジャズをやっていた人はいますか?

いないね。中央大学に出入りしているときがあってトロンボーンの谷啓さんがいたね。

●いまでは明治大学を出てジャズメンとして活躍されている方は多いですよね。

そうですね。そうそう、今年は10月20日に明治大学(リバティーホール)で公演するのですよ。

●ジャズの魅力ってなんですかね。

やってて楽しい音楽だからね。わりあい自由に思っていることができるからね。

●先生につかれてたのですか?

いやいや全然。ラジオを聴いて、ジャズ喫茶へ行ってレコードを聴いたり。ちょっと高いけど「1001」という譜面を買ったりしてたね。

●進駐軍に行くとすごい優遇されていたのではないですか?

食事が最高だしね、お酒は安いし。それが楽しみで行っていたね。

●その当時は、雪村いづみさんとか江利チエミさんとか一緒にやっていたりしていたのですか?

知り合ったのはもっと後になってからだけど。チエミさんは黒柳徹子さんの番組で弾いたり、コマ劇場で彼女のコンサートで弾いたり、そのときのバイオリンは黒柳徹子さんのお父さんだった。その当時はジャズのミュージシャンがスタジオとかでよく起用されていた。オールジャンルになんでもできちゃうから、作曲もやったり。ジャズ屋さんは、当時重宝されていた。なんでも直ぐにその場で出来ちゃうから、たとえば「画を見て音をつけて」と言われて、即興で音をつけたりだとか。

●同じ時代を生きて、今も現役のかたはどなてですか?

ベースの稲葉国光さん、ギターの中牟礼貞則さんとかは、20歳ぐらいのときから知ってるね。前田憲男さんや猪俣猛さんなどは関西から東京にやってきたけど。あとは、死んじゃったけど、フリージャズ・ギタリストの高柳昌行さん、ベースの金井英人さん。

●私も金井の金さんはよく一緒にやって仕事をやっていましたけど、みんな生活感のない方ばかりで(笑)奥様が影で支えているというのがよく分かりますよね。

家庭は妻にまかせてね。みんな強いんじゃないかな。強くないとミュージシャンの妻はできないかもしれないね。ジャズをやっているうちはみんな大変だよ(笑)。
俺は忙しいときは、横浜の自宅に帰れないから都内に部屋を借りて、昼はレコーディング、夜はライブをやって、ということを毎日繰り返してたよ。

●かなり儲かってましたね(爆笑)

人によるよね(笑)

●コマーシャルとかもやってましたよね。これってあります?

マルマン「♪ うすい〜ハーレー ♪」というCMは印象に残ってるね。

●秒数が決まってますから大変ですよね。

ピアノの練習だと118BPMなどの半端なテンポが多いけど、そういうのをやっていたから、自分は120BPMを身体で覚えるわけ。そうしないと(半端なBPMでは)画に音を合わせることができない。

●どのくらい作曲されたのですか?

たくさんありますよ。家にテープがあるけど、昔のは腐っちゃってるけど(笑)

●いまも健康でピアノを弾いていらっしゃるのって、素晴らしいですよね。

ピアノは何時間やっていても楽しいからね。何が楽しいかって「これをこうやったら面白いかも」と自分なりにジャズを解釈してアレンジできることだね。ほかの人と一緒にやったときに合わないことがよくあるんだよね。普通にやっていると違うところがでてきてしまう。

●それがジャズの面白さですよね。

そう。だから、ピアノでバッキングをやるときはわざと違うコードを入れちゃうときがあるのですよ。それに触発されて管楽器も一緒にいってしまう(笑)

●管楽器では一番素晴らしいと思う方はどなたですか?

特定するのは難しいけど、グローバー・ワシントンJr.かな。人間的にも素晴らしかった。ライブで終わったときに抱き合ったこともあったよ。日本人だと同世代のテナーの峰 厚介だね。

●これからジャズってどういう風に発展していくのでしょうね?

うーん、本当にもっと、ファンを増やそうと思ったら、誰でもわかるようなノリの音楽をやったほうがいいよね。やっぱりメロディーを知っているとみんな喜ぶよね。だからといってスウィングばかりだと物足りないっていう人もでてくるし。

●ジャズといっても色んなカラーがありますよね。最近の活動は?

横浜のBar Bar Barやサテンドールのほかに、いくつか小さいコンサートで弾いてるね。

●ハメを外すとかないのですか?(笑)

ハメを外すことはないけど、酒は飲むね。いまも昨日の酒が残ってる(笑) 色々と仕事のことなんかを相談されてね〜。

●サマージャズについて何かアドバイスをいただけますか?

この時代のパワーをほしいと思うよね。いまもきちんとジャズというのがあるけど、もっと輝きというかパワーが欲しいよね。

●ジョージ川口さんや松本英彦さんと一緒にやったことはありましたか?

ありましたよ。コマ劇場のニューイヤージャズで。この頃は、フリージャズというのが流行っていてフュージョンとかが流行りだす過渡期だったね。ジャズ革命とかあったときだったね。

●今後の目標とかは?

新しいのは新しいのでいいのだけど、根っこが新しいところからの根っこになっちゃっているから、もっと前の根っこというのが必要だよね。そういうのを広めていきたい。

●好きなピアニストは?

一時期は、キース・ジャレットの表現方法が好きだね。プレイヤーもなんでもやっちゃうのではなくて、これを聴かせる!というのを持ったほうがいいよね。

●最後に、今田さんにとってジャズとはなんですか?

なんだろうね。。。ぼくの人生、ジャズ音楽以外ないんじゃないかな。いくらやっていても苦しいことはないから。最近はスタンダードなどの曲を研究するのがますます面白くなって、昔よりそれが新鮮になってきて。でる音はわからないけど(笑)。とにかく好きなんだろうね。もうちょっと日本のジャズが盛んになったらいいなと思うけど。

リズム感の衰えがないよう、毎日、ヒップホップダンスのレッスンを欠かさず、自分磨きに努力を怠らない今田さんが最も輝いている瞬間は「今でしょ!!」

インタビュアー:佐藤美枝子

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