インタビュー Vol.01 ビッグバンドに生涯を捧げた我が人生
宮間利之|岡本章夫|見砂和照|森寿男
本年、14回目を迎えるビッグバンド・フェスティバルの開催にあたり、日本のビッグバンド界の発展に尽力され、常にトップを突っ走ってこられた、4名のバンドリーダーに、ビッグバンドへの情熱を語っていただきました。
●まず、出身地と年齢と血液型をおうかがいしてもよろしいでしょうか。
<宮間>
千葉県千葉市 90才 AB型
<森>
東京で生まれ、学生時代は兵庫県明石市 本籍は徳島県池田市
79歳 B型
<岡本>
京都市 69歳 AB型
<見砂>
東京都 1951年9月15日生まれ 60歳 A型
●音楽生活は、今年で何十年でしょうか。
<宮間>
72年
<森>
60年
<岡本>
51年
<見砂>
43年
●ジャズまたは、ラテン音楽を生で初めて聴いたのは、おいくつのときですか?戦後まだ、誰もやっていなかった時代にさかのぼり、ビッグバンド音楽に魅了されたきっかけはどんな感じだったのでしょうか?
<宮間>
14才、大人の完成されたジャズ、不良っぽく、くだけた親しみやすい音楽に魅了されました。
<森>
昭和21年 14歳のころ。高校時代、NHKラジオでブルーコーツの音を聞いた時、是非このバンドに入りたいと思った。
<岡本>
意外と早いですね、アッと言う間、トランペットと言う楽器が好きだったから。
<見砂>
母親のお腹の中でもう聴いていたと思います。
父のやっていたキューバンボーイズを見て、楽しく迫力あるアコースティックサウンドに魅了されました。
●時代の流れと共に、サウンド的な流行や変革はあったと思いますが、ご自身のバンドの音楽的な特徴や、スタイルの変化はございますでしょうか?
<宮間>
戦後は米軍の慰問のための、その当時の流行か、もしくはスタンダードジャズを演奏したものでしたが、落ち着いた頃には
自然とモダンジャズカラーに決まっていました。ジャズのスタイルは変わってくるのがむしろ当然で、若い年代のミュージ
シャンが競っているモダン派の人口が一番多いはずで、つまり意欲ある入団希望のメンバーに困らないと思いました。
<森>
一貫してエリントン、ベイシーの中に流れる音の追求。
<岡本>
ほとんどない。
<見砂>
父 直照がやっていた東京キューバンボーイズサウンドを守りつつ、いつでも見にきてくださった方に元気になってもらえる
ようなバンドでありたいと思っています。
スタイルの大きな変化はありませんが、少しだけラテンジャズというスタイルを取り入れはじめています。
<宮間>
戦後は米軍の慰問のための、その当時の流行か、もしくはスタンダードジャズを演奏したものでしたが、落ち着いた頃には
自然とモダンジャズカラーに決まっていました。ジャズのスタイルは変わってくるのがむしろ当然で、若い年代のミュージ
シャンが競っているモダン派の人口が一番多いはずで、つまり意欲ある入団希望のメンバーに困らないと思いました。
<森>
一貫してエリントン、ベイシーの中に流れる音の追求。
<岡本>
ほとんどない。
<見砂>
父 直照がやっていた東京キューバンボーイズサウンドを守りつつ、いつでも見にきてくださった方に元気になってもらえる
ようなバンドでありたいと思っています。
スタイルの大きな変化はありませんが、少しだけラテンジャズというスタイルを取り入れはじめています。
●ご自身に最も影響を与えてくれた、尊敬する偉大なミュージシャンはどなたでしょうか?
<宮間>
日本人=松本伸、海外=ウディ・ハーマン
<森>
ハリー・ジェームス、 グレン・ミラー 、デューク・エリントン 、カウント・ベイシー
<岡本>
なし。
<見砂>
ビートルズ、セルジオメンデス
そして私は指揮者でもありますが、音楽の世界に入ったのはドラマーとしてだったので、影響を受けたドラマーといえば
ハーヴィー・メイソン、スティーブ・ガッドです。
●バンドを継続して半世紀以上、数え切れないほどのステージをこなしてこられて、どの本番も全力投球だったと思います。特に印象深いステージは覚えていらっしゃいますか?または、とんでもないようなユニークな失敗談などございましたら、御聴かせください。
<宮間>
1974年米国モンタレージャズフェスティバルに初出演でアンコール、そしてスタンディングオベーション受けたこと。最終日でのフィナーレで再出演の要請を受ける。
<森>
毎回印象的?
<岡本>
すべて全力投球です、失敗はあると思いますがあまり覚えてないです。
<見砂>
特に印象深いステージは60周年記念 見砂直照生誕100年コンサートです。
父の時代のとんでもないエピソードはたくさんあったようですが、私が聞いた話では北海道から東京へ戻る途中、青函連絡
線から汽車に乗りかえる時間がたりず、楽器を積みきれず父が列車のドアに立ちふさがり駅員の注意を無視し列車が発車で
きないようにして発車時刻をだいぶ遅らせた、と聞いた事があります。
●バンドリーダーになったきっかけは?
<宮間>
所沢のジョンソンエアーメンズクラブのボスの要請により指揮者になりました。
<森>
ブルーコーツ3代目リーダーとして42年、メンバーに推されて。
<岡本>
私の場合前任者が突然辞めたので事務所の社長よりメンバーだった私にリーダーをやってくれないかと言う事で引き受けました。
<見砂>
2005年にキューバで行われた音楽フェスティバル「クバディスコ」に招かれた事をきっかけに正式に再結成をしリーダーになりました。
●バンドカラーのイメージの象徴とも言えるアレンジの力は絶大と思います。曲によっても違いますが、特にお好きなアレンジャーはどなたでしょうか?
<宮間>
山木幸三郎さん、前田憲男さん、 佐藤允彦さん
<森>
前田憲男さん
<岡本>
特別にありません。
<見砂>
前田憲男さん、貫田重夫さん
●ご自身のバンドで目標としたバンドは? 例えば、エリントン、ベイシー、ミラー、ケントン、ハーマン、クガートなどetc・・・
<宮間>
ウディ・ハーマン
<森>
エリントン、ベイシー
<岡本>
目標にしたバンド、ビッグバンド編成のバンドは全部目標です。
<見砂>
見砂直照と東京キューバンボーイズを目標にがんばっています。
●歴代メンバーも数え切れないと思います。強く印象に残る歴代メンバーを3名あげるとしたら、どなたでしょうか?その方の担当パートも教えてください。
<宮間>
羽鳥幸次(tp)、高見弘(as)、石川晶(ds)
<森>
北里 典彦(tp)、五十嵐明要(as)、岡田愛詩(as)
<岡本>
特になし。3人取り上げて他のメンバーに悪いです。この質問はよくない。
<見砂>
豊岡 豊(ds・timb)、納見義徳(perc)、大高 實(tb)
●大所帯のビッグバンドを経営していくご苦労は大変なプレッシャーと思います。 そのプレッシャーやストレスを発散する方法は?
<宮間>
妻と旅行
<森>
弓道
<岡本>
ビッグバンドのリーダーをやるにはプレッシャーやストレスはあたりまえです。私は発散しなくてもぜんぜん平気です、
そんな事気にしてたらリーダーはつとまりません。
<見砂>
コンサートにお越しくださるお客様の声援を力にかえています。
●メンバーの個性や表現力を上手く引き出してあげるにはどのように工夫されていますか?
<宮間>
常に明るくリラックス、そして自信を持てるように心掛けています。
<森>
人間には強制されずに自分の意志で、仕事又は演奏したいという思いがある。私は常に“メンバーの接し方”を大切に
心がけている。
<岡本>
..........................
<見砂>
編曲で一人でも多くのメンバーがフィーチャーされる場面をつくっていきたいと考えています。
●健康のために心がけていることは?
<宮間>
歩くこと
<森>
やはり弓道=立禅
<岡本>
歩くこと。20年やってます。
<見砂>
ウォーキング、筋力トレーニング
●座右の銘を教えてください。
<宮間>
我慢、寛容
<森>
「愛」 愛の光の中に仕事があり、家庭があり、友人があるので、すべての基本と思っている。
<岡本>
「この道一筋」 トランペットがすべて。
<見砂>
1%の才能、99%の努力
●最後に本日、全国各地からご来場いただいたファンの皆さまにひとことご挨拶を御願いします。
<宮間>
感謝の心と皆様の御多幸を末永くお祈り致します。
<森>
ビッグ・バンド・ジャズを愛してくださる皆様に、心をこめて本日の演奏をお届けします。お楽しみください!
<岡本>
..........................
<見砂>
本日はご来場を誠にありがとうございます。
心より御礼申し上げます。
昨年は東日本大震災の復興支援にご協力いただき、皆様には大変感謝いたしております。キューバンボーイズは今後も微力
ながら支援活動を続けて参ります。
本日も全力で熱く元気な演奏をお聞かせできればと思っております。
よろしくお願い致します。
これからも日本の代表としてビッグバンド界を大いに活気づけ、盛り上げていただきたく、更なる飛躍に期待しております。本日はどうもありがとうございました。
インタビュアー:佐藤美枝子
2012年4月15日(日)「ビッグバンド・フェスティバル2012 Vol.14」パンフレット掲載
許可なく転載・引用することを堅くお断りします。